生産性の前に

生産性向上が未だ持ち出されているし、たぶん今後もこの議論はずっと続いていくのだろう。もちろん重要な指標の一つだと思う。

だが、生産性を測るためには、そもそも「何が作られるのか」「どうなれば100%になる?」が決まっていることが必要だ。いわば、分子と分母の「分子側(本来作り上げるべき価値の総量)」が決まっていないのに、「分母側(作るに必要だった労働力)」が、多くかかりすぎたかどうかは、議論しても始まらない。

 

さらに言えば、簡単なものならともかく、一朝一夕にできるものやできる価値ばかりではないため、半年とか、1年とかかけて物作りが行われることになるとなれば、じゃあ今月はここまでできること…の積み上げで計画がなされるのが常識。となれば、今月をさらに細かく1週間に、1週間はさらに細かく1日にという形で、業務所掌が明確にされ、今日やっておくべきことがきちんと見えてくる。それが計画を立てるということであり、上記に書いた分子(そこまでに生み出されている価値)を決めておくという事。

そうした方向性をもってして、ジョブディスクリプション(かけるべき仕事量である分母)が上長から指示され、それがその中において成し遂げられていれば、予定工数以下で仕上げられれば、高い生産性となる。逆に言えばそれ以外のことをする時間も会社にいることで、無駄に時間がかかりすぎる、分母が大きくなりすぎることで、生産性を落とすことになるはずだ。

 

であるからこそ、個々の業務所掌を明確に、それを提示すべき管理者側から労働者側に、ジョブディスクリプションを明確にするのが役割となる。
…ということで、ジョブディスクリプションを明確にしてほしいと上長に確認する必要があるわけなのだが…。私はこれで、以前の上長に逆切れをされた経験がある。

「そんなもの提示できるわけないだろう!!!」

それこそ平成も終わろうかというこの時代、「昭和」の残滓のような上長は、そうした内容を定義するような訓練を受けていないわけだし、まず間違いなく当人自身もそんな仕事の進め方をしてこなかった。頑張って仕事をせよ、成果を生み出せ、軍隊的に檄を飛ばしていればよかった時代の上長では、そんなことは相当勉強するか、考え方をそっくり入れ替えなければ、定義できなくて当たり前。

…でも、そうした上長に育てられた部下だから…といっても、これからはそれが上長に求められるそれこそジョブの一部に。そう、「自分たちから」変わっていかなくてはいけなくなっているのが昨今の現状。

 

生産性を説くために、何を生産すればゴールになるのか?分子として作り上げるべき価値の量を決めなければ、それを生み出すためにいくらまで資源を投入するのが効率的で、いくらをオーバーすると生産性が下がるのか?が明示できないことに。

 

残業するな、帰れ!と闇雲に、残業時間を減らす…のが目的じゃないでしょうに。バカじゃないだろうか?