平均を見たとしても

雑誌の記事や、最近ならWebの記事を見ると、経済的不安などを煽る記事を見かけることがある。〇歳世代の収入と、これから…みたいなキャッチーなコピーで、読者を引き付ける。その際にどうしても目に付くのは、「あなたの世代の収入平均」みたいな記事。

 

平均を見たくなるというのは、その分布状態が均一な、正規分布の中にいる…という「仮定」の下に、であるからその中で「今の自分のポジション」は、社会的にも真ん中くらい、中間くらいだと思いたい、という事から来ているはず。

…なのだが、これらはいとも簡単に崩される可能性がある。

 

まず、データの母集団(全体の数)は?だ。こうした情報を作る場合、母集団の数が小さくて、恣意的に作られていることも少なくない。母集団がある一定以上に大きい数字を担保されている事がそもそものスタートだ。
そのうえで、分布状況自体が正規分布か?昨今、資産情報などにおいてよく言われるのは、格差の拡大だ。という事は、非常にお金持ちと、非常に貧しい二つの山がある可能性がある事。こうなると、いわゆる山全体の真中、平均値だけでは特に意味がなくなってしまう。であるからこそ昨今よく言われているのが、「平均値」のみではなく「中間値」も見ましょう、ということ。その母集団全体の真中の人の値、たとえば1000人の母集団なら500番目の人がどこに位置するか?を見ようという事。たいていこうすると、平均値からずれた、たとえば資産分布であれば、平均値より少ない値に収れんすることになる。 

極端な例で考えると分かりやすい。資産10億円の人が一人で、あとの99人は資産500万円だとすると、この計100人の集団の平均値は、1495万円。だが中央値はもちろん、500万円だ。この場合、一人の超大金持ちに引っ張られる事で、平均値が実質的に意味のない、感覚とはズレた数字になってしまっているという事。やはり自分の事例で自分の未来の可能性をそれぞれが考える以外に道はないという事。

 

そもそも「世界に一つだけの」あなたが求められているにもかかわらず、結果、大多数の中の平均ととしての自分で判断しようとする。確かに、それは確率的に高い正解を導き出すだろうけれど、それは「世界に一つ」の事象ではなくなっているという事。本当になりたいのは、本当にありたい自分はなんなのか。やはり自分の事例で、自分の事象で、考えていくしかない、平均値だけを見て判断しているだけではいけないよね。