通常とピーク

エンジンで動くマシンがあるとして。車がわかりやすいだろう。ある車の標準出力、馬力でもいい。〇〇馬力の出力があるとパンフレットに書いてあったとすると、それは「通常使用時」のイメージを持たれることが多いだろう。そしてたいていそれとは別に、「最高出力」として、〇〇馬力の数字よりも、数十%高い値、大きい値が記載されていることがある。が、これはあくまで「最高」出力であって、その力をずっと出し続けるわけにはいかないのが普通。最悪の場合、短い間であれば…といった、制約条件があった上での数値であり、ある意味の「お約束」の上での数値だ。

 

こういうのは機械設計上、「安全係数」といった数字で扱われることが多い。理論的なギリギリの最高値を計算で割り出したうえで、ずっとそのまま運転し続けるとマシンの寿命が極端に短くなるので、安定的に動かすためには、その数値を、安全係数(たとえば、1.5とか、2.0とか)で割った数値として算出し、それを、通常の使用範囲として設定する。

 

これ、マシンの話のように見えて、人間でも同じことだ。職場のメンバーが体調を崩して仕事を休むことは仕方がない。なので、その日1日、もしくは5日間は、周りの誰かが休んだ人の分を肩代わりしながら動かしたりすることで何とかやりくりをする。文句を言いたくもなるけれど、体調が崩れるのはお互い様、なので、いつか来る自分のことも考えて、その数日だけは何とか頑張って乗り切る。
だが昨今の「経営者」はそうは考えないらしい。
「ほぉ、なるほど、休んでも仕事は回るではないか。では来月から人を減らそう。」

 

バカだ。

 

確かに「その数日」は回ったのだけれど、ずーっとこれからもその状況を続けさせるつもりなのだろうか?もちろん絶対にできないとは言わない。が、あちこちをケアして、工夫して、とその施策が打てて初めて、省力化が完成する。それをいきなり持ち込むのは非常に危うい。場合によっては、従業員を失いかねない。
もちろん、従業員側にも甘えがないとは言わない。これまでそうした無駄仕事もやっていた上で楽に回せていたところもあったのかもしれない。だがこれでさえ、経営者側から「無駄な作業は削りなさい」という方向性を打ち出して導くのがスジだろう。

 

これ(削減した状況)が成り立つ…のを前提にして、今まででも、何度も何度も「リストラ」されて人員が減らされ、そのたびに、現場が大混乱したり、負担が増したりした。加えて、給料はまず上がらない。今まで通りだ。
だが、これが「無限」にやり続けられるなら、究極の状況は限りなく、無から有を生み出せるシステムが出来上がることになる…わけがない。

 

たぶんこれが、いわゆるブラック企業のみならず、今の日本のあちこちの職場で起き始めていることのような気がしている。崩壊の日は近い。