茹でガエルの井戸

井の中の蛙」という言葉があって、ちょっとした集団の中でトップに立っていたとしても、それは小さなグループの中に過ぎず、外界(井戸の外)にはもっと広い世界が広がっていて、そこにはもっとすごい奴らがいるという事。

 

蛙つながりで言うと、「茹でガエル」という言葉もある。これは、ある水たまりの中で気持ちよく泳いでいるつもりでいても、実はその水たまりは「大きな鍋」になっていて、その「鍋」ごと、少しずつ分からないように段々と茹で上がっていって、ふと気が付いた際にはもう、そこから脱出できるほどの力が残っていないほど、のぼせ上って死んでしまうかもしれないよというモノのたとえだ。

 

今の日本は実は「茹でガエルの井戸」にいるのではないだろうか?いや、井戸の外に何があるのかも知っているけれど、とりあえず国内だけで何とかなっている…ように信じ込んで外には目を向けようとせず、自分たちだけを見つめていれば大丈夫だと言い聞かせて進んでいる。
結果どうなっているのかというと、とんでもない経済の凋落状況だ。GDPはあっというまに、十数年前の1/3に。給料が上がっている感覚は現場ではほとんどなし。であるがゆえに物価もなかなか上がらない(でも実はステルス値上げが進行しているという状況に)。まさにじわりじわりと「茹で上がり始めている」状況。

昔はといえば、東南アジアなどに下請け作業を出していた企業も、ふと人件費を真剣に考えると、実は「日本人のほうが安い」なんて現実を突きつけられている。これこそが、「井戸の外の状況」なのに。

 

そんな状況に、茹でられている「井戸」に、海外から労働者が入って来たいと思うだろうか?国内の労働者ですら嫌う作業で、なおかつ国内でも安めの賃金…となると、世界においては、さすがに最低とは言わないけれど、非常に安い賃金で働かされる状況に。さらにそこに加えて「家族は帯同できない」などなどの制限が付くことに。

いや、日本に来れば「素晴らしい先端技術を学べる」のであるならまだしも、そんな本質的な現場としての「日本の労働環境」はどのくらいあるだろうか?さらに、そこにおいて得られる対価は、ほかの諸外国に見劣りしないのだろうか?

 

僕らは「井戸の中だけ」で仕事をしているように見えて、「井戸の外」と繋がっているという事。国はそれを意識できているのだろうか?

と、この記事を書いている中で、いくつかの企業が、まずは新卒入社の社員給与を大幅にアップすることを伝え始めた。より良い、より能力のある社員候補は、当然そこが魅力的に映る事だろう。翻って給与を上げることを渋ったり、出来ない会社は、ジリ貧に追い込まれることに。ただそれは、「正しい新陳代謝」が進む事でもあり、どんな企業でも生きながらえることができること自体が、ムダを生み出し非効率化につながっているということではないだろうか。

元号的に新たな時代に切り替わる今年。スタートはもう切られている。