大本営発表

より大きな視点で、事実に基づいたデータが示されている事。これこそが「事実」。
だがそうしたデータは、通常、誰もが取れるものではないため、そうしたデータとその分析を、あるところが一括で発表する。

 

その発表が信じられているというのは、上記にあるように、データの取り方と、分析の仕方に「信頼がおけている場合」が基本。データの取り方や信ぴょう性に難があれば、いくら精緻に分析したところで意味がない。データは正確であったとしても、分析が甘ければ、正しい結論、状況は見えてこないこともある。

 

このデータが改ざんされることもある。そもそもデータがとられているかどうかも怪しいことがある。であるから、「怪しいな」と感じたら、「生データを見せなさい」というのがまず行われる。これが出てこなかった時点で、その「数字」は、まったく信ぴょう性を失うわけだし、その組織や団体の信頼は「地に落ちる」という事だ。

 

そして今、「国」は、給与状況に関する統計の生データを示せないでいる。

我々はもう、「数字で示す事実」という事に関して、他国を笑える状況ではない、ということは、肝に銘じたほうがいい。かなりの劣化した国家になっているという事実として受け止めるべきだろう。

 

 崩壊の始まりか、貧しさの始まりか。もしくは今が「底」なのか。