迫り来る有限

ネズミ講は今の日本では禁止されている。これは、その仕組みや収益の上げ方が、爆発的に広まったとしても、日本の人口数から見ると、「ビジネスの仕組み」として早々に破綻することが目に見えているためであるからだし、「初期に仕組みに入った人だけがうまい汁を吸い、それ以外は恩恵にあずかれない」。

 

他方、まっとうなビジネスの仕組みにおいては、順調に拡大成長することを是として進んできた。これによってこれまでの日本の多くのビジネスは、より良いものをより安く提供することを目指して、ガンガン進んできた。それにより、市場は日本のみならず、世界へと羽ばたき、日本の家電をはじめとする日本製品の質の良さ、手ごろな値段に、世界の人々は魅かれていった。

 

どんどんと製品を生み出し、毎年少しずつ機能を進化させることで、売り上げが立ち、経済が潤っていった。

…が、今の日本の「家電」メーカーはどうなのか?中国メーカーに、スピードも、量も、明らかに後れを取っているのではないか?

 

さらに言えば、そうしていろいろな世界へと売り出していった昔はというと、他国で売る(ための仕組みを含めて作り上げる)のも一苦労…という時代があったけれど、今はもう、モノによってはプラットフォーマーが押さえていて、全世界同時発売に近い事さえできる状況が。そう、流通も、技術も、スピードアップしたことによって、世界は事実上(過去に比べて相対的に)小さくなった。
ということは?そう、「有限」をより意識せざるを得なくなったのではないか?

 

昔は、次の機能の開発にも時間がかかったりした。成長しても、世界の大きさで広がる前に、つぎの開発が間に合ったりもした。が今は、明らかに流通スピードが上がり、となれば売れる商品は、あっという間に全世界から求められる。すぐに次の機能も求められる…が、開発はそうそうスピードは上がらず、アイデアもドンドン使いふるされる。すぐに刺激は弱くなり、次の新機能が求められる。

この典型例が「iPhone」では。一気に数百万台を準備して世界複数箇所で売り上げるなんて世界は、昔は考えられなかったはずだ。

 

であるからこそ、リミットに達することもあるわけだ。それは「地球上でその商品が欲しい人たちは、高々「数十億人」までだから。それを「有限として意識せざるを得なくなった」のが、これからのビジネスではないのだろうか?

 

 

規模が大きすぎて実感に乏しいのならこう考えてみよう。
コンビニや一部のカフェチェーンでは、一つの地域に集中的に展開して、商圏の大半の顧客を囲い込む戦略を取ることがある。だが当然ながら、一つの地域に無限個数の店舗展開ができるわけはなく、ある一定数を超えると、同系列のチェーンで顧客の奪い合いが始まることにもなる。
これが、「地球規模」で意識せざるを得なくなってきているのではないのか?という事。となれば、株式市場自体も、ある意味「頭打ち感」が出たとしてもおかしくないだろう。

太陽系を商圏として、「火星人」「木星人」に商圏を広げることができれば話は別だが、少なくとも現状は、「地球上の人類」以外の顧客はいない。たかだか数十億人が顧客。さらに言えば、資源だって「地球1個分」しかないわけだ。これを何度も使いまわしていかなければならない状況。

いや、すぐに破綻するとは思わない。しかし、あと数百年もすれば、いや数十年で確実に「有限による制約」を意識しなければ、人類は存続できないはずなのでは?