変わるから変わらない

昔は内風呂がないご家庭も普通だったけれど、現代日本においては、ほとんどのご家庭で内風呂がついていて、恵まれた生活環境が提供されている。

毎日、シャワーかお風呂には入り、体や髪の毛をあらう。清潔な状態を保つことが容易な状況。日々の垢や汗、汚れを落としてさっぱりできるのは、やはり気持ちがいい。

 

こうして出てくる「垢」は、新陳代謝として古い皮膚が剥がれ落ち、内側から新たな新しい皮膚が作り出されてくるから。なので、一か月程度でも人間の細胞の何割かは「入れ替わっている」というのが現実だ。
しかし、それによって「その人」が全く別人になる…なんてことはない。当たり前だけれど、「そうして入れ替わっているから」こそ「その人が変わらずに居続けられる」ということだ。

 

車や電車の窓から外を眺めていると、外の景色はどんどん変わっていく。それは、車や電車「だけ」が動いていて景色の側は動いていないからだ。
ただ、たまたま隣の車や隣の線路の電車が、同一方向に、同一スピードで動いていた場合、窓の景色は変わらなくなる。ずっと同じ車、同じ電車が、窓の外に移っていることがある。そう、それは相対速度がほぼゼロであるがゆえに、景色が変わらないという事だ。

 

社会は、経済は、日々動いている。そんな中で人々は経済活動を続け、仕事の成果を生み出し、日々の暮らしを続けていく。そうした中で、自分の仕事として、自分の会社として、「新しいものを生み出」さなければ、当然ながら我々の組織や会社の売り上げは下がりがちになり、今までのような儲けを出すことがむつかしくなる。今までと同じ商品、サービスでは、だんだんと価値が下がっていくからだ。

そのために「新しいものを生み出」し続けていれば、もちろんすべてが当たるわけではないけれど、今まで以上の儲けにつながったりする可能性も秘めている。だからこそ、「今までと同じ(かそれ以上)であり続けるためには、変わり続けなければならない」ということ。周りが変わり続けているからこそ、自分も一緒に変わって、相対速度がゼロであれば、「社会や経済の中で」変わらずに居続けることができる。しかし、ずっとずっと以前と変わらずにいるとするなら、だんだんと時代から取り残され古びて行き、価値を失っていくことになる。変わらなかったことで時代の中で古びていく。

変わり続けることで、変わらずにいられるし、

変わらないことで、変わっていかざるを得なくなる。

 

 

日々、学びであり、努力であり、変化が求められているという事。