選択できるという事

将棋などのゲームでもいいし、いわゆるボードゲームなどでも構わない。最近ならPlayStationなどのゲーム機でもいいかもしれない。戦略性の高いゲームであればあるほど、「次に取れる戦略」は様々なはずなのだが、窮地に追い込まれてくれば来るほど、取れる戦略の(勝つ見込みが残されている)手数は限られてくることになる。それ以外の手は事実上の悪手であり、取りたくても取れなくなるわけだ。

違う見方をすれば、それをもってしてゲームの状況を理解することすら可能だったりもする。どんどんと出せる手、置ける手が詰まってくるのは、かなりまずい状況だという事だ。

 

そうして手数が選べているうちに、さらにより良い手数、この先の手を良い方向へと導く準備となる手を打っていくこと。こうした手を打ち続けていくことが重要なカギとなる。

それが意識できていないと、今優勢だ、だから何の手を打っても心配することはない…などと無駄な手を打ち続けていると、そのすきを突いて相手は有効な手立てを広げる手を打ち出して、こちらを崩しにかかりだす。

 

ビジネスにおいて、時間的空間的ポジションとして、同じ手はなかなか打ちにくい。あるポジションを誰かに取られると、それ以外の筋道、戦略を練り直す必要が出てくる。
これと似たような言い回しが不動産にはある。「不動産は一期一会。決して同じ環境、同じ間取りの不動産は存在しませんよ」というやつだ。であるから、早く見つけたほうが勝ち、早く契約したほうが勝ちだということ。

 

そうして先々の手を考えて、いいポジションをつかみ続ける。選択肢を常に、複数持ち続けておく。…であるがゆえに、次にどの選択肢にすべきか、判断や分析に時間がかかるのは当然のこと。複数ある手の中から、どれが最良の手になりえるかをしっかり見極めなければならない。さらにさらに、そうした戦略の選び方は、ライバルや競合他業種だって複数の手を考えているのだから、それらの「組み合わせ」としての選択が必要になってくる。

そう、選択できるという事は、時間がかかる事、複雑になるという事でもある。
でも、複雑だからと分析等の手を抜くと、一気に形勢は不利になりえる。であるからこそ、選択できる、複雑で居続ける、複雑さをマネジメントし続ける必要があるのだ…ということ。