蜘蛛の糸

芥川龍之介の有名な短編小説の一つが、蜘蛛の糸。小学生でも知っていたりする有名な逸話としての意味もある。

そして、昨今の2000万円の議論などというのは、まさにこれに匹敵する議論ではないかと考えてしまう。

 

日本政府が作り上げた仕組みとして、定年退職後においては、それまでずっと払い込んでいた保険料を鑑みて、「年金」という形で、年老いた時点での生活を賄うというシステムを作り上げている。いわば、老後の生活を支える「蜘蛛の糸」ともいえる。

太くはない。年々細り続けている糸ではあるけれど、糸がなくなることはない。ただ、だんだん細く、弱くなってきているのはみなの周知の事実ではある。だから「その一本だけ」で、みんなが助けられるわけではない。

 

下界の民は知っている。自分が退職した後は、あの糸に頼って生きていこう。その意味では「蜘蛛の糸」ではあるけれど、権利を得るために払い込んだ人それぞれに「糸」が下りてくる。それを誰かと奪い合う必要はない。自分の一本に寄り添うだけで良い。

 

だが、もとをただせば、無限に糸を吐き出せるわけはない。大元は有限であり、その太さには限界がある。なので、下にぶら下がる人数が増えれば均等に振り分けるには、一本あたりは細い糸とならざるを得ない。

下界の民は知っている。そんな細い糸ならば、すぐに切れてしまう。もっと太い糸を下ろしてくれ…と言いたくもなる。

だが実は、その糸を作っているのは、退職した自分たちの下で働いている若者たちだという事。すでに「糸」を作る人口が減りつつあるのに、糸そのものを太くしようとするならば、いずれ糸は細く細くなって、誰の頼りにもならない糸の太さにならざるを得ないという状況。

これを、「若者と老人」という世代間対立に持ち込むのか、いやいや「全世代が一丸となって、貧しくなるのに抗おう」ということで、効率化を目指す社会を進むのか。