希望のない国

子供を持ちたい、結婚したい

でも出来ない。

いや、物理的にはできるだろうし、制度的にはできるのだろう。経済的に行き詰っても、生活保護という制度だってある。だから結婚しなさいね、子供を持ちましょうね…。と言われても、そもそもそういうマインドにならない人々、それが日本人でしょ。

 

どこかの国の人ならば、たとえ経済的不安が先だったとしても、結婚するし、子供を産む国もある。でもたぶんこの国においては、結婚するならこういう生活がしたいとか、子供を産み育てるならこのくらいの水準は保ちたい…という思いがある。思い、そう、それは未来のどこかでそうありたいなという「希望」。

でもその「希望」が持てないから結婚できないし、希望が持てないから子供も持てない。

 

にもかかわらず、「希望」を持てと言われている。

いや、無いわけじゃない、が、ほぼ実現が厳しいと思われる希望として存在する希望は、単なる実現できない夢でしかない。子供のころならまだしも、ある程度見通しが突いたり、構造が分かってくれば、どこまでは成り立ってどこからは成り立たないのかなんて見えてくるところもある。その成り立たない先にあるところの夢を希望にせよと言われても、ね…。

 

いや、本当にみんなが「バカ」ならば、そんな実現できない夢に突っ込んでいって、国民の過半数生活保護を受けなきゃいけないほどに、子供も増え、教育水準が下がった国が生まれるかもしれない。が、それは希望する者とは違う、自分たちが描く世界とは違うと思うから、みんな結婚できないし、結婚しないし、子供も作らないんじゃないのかな?

ある意味、そうした個々の良識でバランスされているところを、結婚せよ、子供を持てと言われても、すでにそこに割ける力は「仕事の効率」をあげる方で搾り取られていて。

 

結果的に、「社会に都合のいい個人的希望を見つけなさい」と言われている状況なんじゃないの?でもそれこそ、主客転倒してるんじゃない?人があっての社会であり国なんだからさ。人のない社会や国をめざしていませんか?

 

成りたい自分へのステップ

皆さんは将来、どんな自分に成りたいだろう?なってみたいだろう?

最近は学校でもこんな時間や授業があるんじゃないかな?

 

会社に入ると、そもそも日々の仕事に忙しくなって、どうなりたいか、どうなるべきかとかすべてフッ飛ばして、ずっと現場と自宅とを往復しているような人が最近増えているようにも思うけれど、でも時に落ち着いてこうした目標を持つことはとても重要。

 

ただ、目標だけが分かったところで、「よし、成りたい自分は分かった、で、どうする?」というところで結構スタックしてしまうことにも。

要するに、「目標値」だけが分かってもそこに至る道筋は描き切れない。なぜなら、自分の今の現在地が分かり、その目標との「差分」が見えてこそ、筋道が見えてくるのだから。

だから「今の自分の実力」をきちんと見極める必要がある。それはその内容、ポイントにより様々だけれど、たとえば実力テストを受けてみたりするのもその一つ。

そうして「今の実力」が分かり、「成りたい自分という目標」の双方が分かって初めて、「じゃぁどうやって成りたいところに持っていくか?」という差分を埋めていく計画を検討できることに。そう、ここに至ってやっと「計画」なのですよ。でないと、効果のある計画なんて立てられないから。

 

計画が立てられればそれを実行していく。それはそれでうまく行かない事、それをどうリカバリーするのかなどまたいろいろと困難があるわけだけれどそれはまた次回に。

 

だからまず

Step1:なりたい自分を描こう

Step2:今の自分の実力を知ろう

Step3:差分がどこにあるかを理解しよう

Step4:その差分をどう埋めていくのか、時間と方法を計画しよう

 

がんばってねー。

 

全ては時間価値に帰結する

新しい道具を買うことで、より効率的に仕事をすることができるようになって。

それによって生み出された時間で何をするか?

 

より良い食べ物を選ぶことで、健康に気を使って病になる可能性を下げた。

より体を壊しにくく、何でもできる可能性を広げる。

で、その時間を何に使うのか? 

 

より良い出会いがあれば、より良いビジネスにつながる。そうすると当然、仕事もやりやすくなるし、成功の可能性も上がる。良いコネクションは良いビジネスを招くのは言わずもがな。

そうしてできたことによる時間で何をするのか?成し遂げたいのか?

 

自分がやりたい、成し遂げたいことはなんなのか?

どれもこれもが、結果的により良いことに、効率的にアプローチできる為に、結果的には直接的、間接的に時間を購入すること。それで、何をやり遂げるのか?人生の時間をどう使いたい?

 

いや、そこで時間を買わないことで得られるもの、もあるだろう。それは時間生み出した何かで得られる価値ではなく、今そこで生まれる価値を取ったと言うこと。それが、その時間で成し遂げたかったこと。

 

たとえば、飛行機で目的地に行きのではなく、列車で車窓を楽しみながらそこに向かうのも一つ。飛行機で行くという移動時間を購入して、旅先での体験時間を得るのも一つ。だが、体験時間ではなく、列車の車窓を眺めるという楽しみを得るのも一つ。どちらが得とか、どちらが良いという話ではなく、価値観の問題。

 

自分が何をしたいのか、何を得たいのか。でなければ何となく時間が過ぎていく。なんとなく高い方が良いような気になって満足しているのが悪いわけではないけれど、それでもいいかもしれないけれど、もう少し考えたら、その時間で何かより満足が生み出せたかもしれない。
あなたのやりたいことは何ですか?

その目的が無ければ、なーんとなく忙しく、なーんとなく時間に追われる日々になるかも。

悪くないんですよ。でも、チョット意識してみませんか?

その時間で、どう満足したいのか、と。

手段と目的

ネット勢力が最近勢いづいているのが、コンテンツ配信。AppleiTunesあたりから本格化してきたけれど、AmazonGoogleのみならず、NetflixSpotifyがすごい勢いで伸びているそうだ。

 

彼らはそもそも、彼らのサービスから離れられないように、ずっとお金を払い続けてくれるユーザーにしたい。彼ら自身のビジネスを成功させるためにね。けれどそれが最初から「見えすぎる」と、誰も近寄ってこない。だから「いいでしょ?すごいでしょ?やりたくない?使ってみたくない?どう?どう?」と魅力でひきつける。

 

簡単な導入の入り口。難しくない(ように見える)ハードル。スマホがこれだけ普及し、ネット環境がこれほど充実してきたからこそ、人々を引き寄せる状況がそろってきた。この「タイミング感」というのはとても重要。日本のコンテンツ産業もそうした自分たち手動を狙っていたり、仕掛けていたりもしたけれど、時期と環境と、タイミングがそろったときに、「魅力爆発」と行かなければなかなかそこには乗っかってもらえない。一部コンテンツ(たとえばアニメ)などはそれでもまだ勝機はありそうだけれど、でも仕組みやビジネスのおいしいところは、根こそぎ海外に牛耳られそう。

 

脱線しかけたので元に戻すと、企業としては、「お金を払い続けてほしい」「今年度は売り上げ目標いくら」があって、そのためには「他には移れない、他では見られない」といったシステムという手段でユーザーたちをからめとりたい。

でもユーザー側はというと、その会社のシステム固有なところに縛られてしまうと他に移りにくくなる。今はいいかもしれないけれど、ココだけではなく、いざとなったら将来は他に乗り換えたいので、システムに縛られたくないという判断が働く。

結局そのせめぎあいを、どのくらい「魅力」で引き寄せることができるか、というのがビジネス。いったん加入してもらったが最後、ずっと魅力で引き寄せ続けない限り、そしてそのうえでシステムでからめとっていかない限り、ユーザーは虚ろだ。システムだけで縛り付けているときは、外部に別の魅力が出て来たとき、崩壊するのはあっという間だ。

 

その「システム」を入れる事、開発することが社内事情で派閥争いしているようじゃ、とてもじゃないけれど今のご時世に追いつけるわけもなく、あっという間にネット界隈の他の企業に牛耳られることに。手段と目的を正しく理解して、より速いスピードで魅力を生み出し、最終的目的を達成して、手段でからめとっていく。いや、昨今のビジネスはいろんな知識と、即断が求められる時点で、鋼鉄のハートがないと耐えられなさそう…。ヤッパリ運も有るんだよねぇ。

10年後

ITの急激な発達によって、今後仕事がなくなる人が出るかもしれないなどという「脅し」がメディアに踊る。僕の、私の仕事は大丈夫だろうか?とか、自分は逃げ切ろうと思っている人も少なくないだろう。今の若者からしてみれば、自分はどんな仕事をすることになるんだろう?と戦々恐々かもしれない。

 

でも考えたり想像したところで、確実に10年先を読み通せるはずもない。そんな時には…。

 

10年前を思い出してみるといい。それでもあまり変わらないなら、20年前でも構わない。今から10年前なら2007年ごろ、20年前なら1997年(おぉ、前世紀)となる。

2007年にはあって、今は無い仕事やサービス、製品は?1997年にあって、今は無いサービス、製品は?

 

2007年はまだスペースシャトルが飛んでいた。今はもうスペースシャトル計画は終了している。宇宙に人を送るのに、ロシアとアメリカが協力してるなんて感無量じゃ無いか。

初音ミクが発売された年、これも2007年。

日本ではまだだったけれど、アメリカでiPhoneが発表されたのも2007年だ。

 

1997年となるともっと以前。Windowsだって、まだWindows95の時代。98になるのはその次の年。AppleもまだiMacを発売していない。それは1998年。

 

こうして見てみると、ある一つの仕事をしていて、それだけで「一生」食い続ける、ずっと同じで大丈夫ってのは、結構むつかしいだろうと想像に難くないのが今の状況。もちろん、同じ仕事を続けられるものもあるかもしれない。けれどそれはそれで、同じように見えたとしても何か新しいこと、時代に即した効率や変化が必ず求められている。

 

こう昔を振り返った上で、10年後。その仕事「だけ」で変わる事なく食えるかどうか?はたぶん厳しいでしょ。いろいろと微妙に変えながら、変わりながら、環境に即しながら変化し続けないと、10年後も生き続けるのは大変だよね…ってことになるでしょ。

だから、「今」安泰でも、来年は、3年後は、5年後は、どうなるかわからないんだよ。何もしないでいても安全な場所はどこにもなくて、そこを安全な場所に「していく」ために、変わり続ける、変え続けなければならない。

 

けれど焦る必要もない。今日言って、明日には変わらなければならない…わけじゃない。だけど、今から考えて、3年後には少しは変わっていなければならないかもしれない。そのためには、今から想像し、それに対応できるための準備が必要なんだよね。

想像するから、それに向けて準備するわけで、想像しなければできなければ準備もままならない。めんどくさいけど、でも生きるって元来めんどくさいことだし。ヤッパリ考えないといけない、その結果として行動しないと、ね。