新しい世界

ある会社を辞めた。昨日2013年3月31日付だ。
長年勤めていたし、本来やめるつもりなどなかった。

良い会社だと思っていたし、今でも世間的には良い会社でとおっているだろう。社名を言えば日本はもちろん、世界に名前を知られている会社だ。

だがその会社も、会社が属する業界も、誰が見ても斜陽産業。昔日本は、繊維で始まり、鉄鋼へと移り変わり、その次の伸びる産業の一つだったはずが、ここ10年で、すっかり没落してしまっていた。

社内ではそうしたことを憂い、なんとか盛り返したいという動きもあった。それなりの社内有志の動きもあった。だが、大企業であればあるほど、そうした動きが一本化されて持ち直すことは難しく、いくつかに分裂したベクトルは、互いに打ち消しあい、お互いの力をそぎ合うことになる。保守と革新がせめぎあい、保身で逃げ切れる世代の動きは鈍い。

そんな中でもあり、日本の大手企業の多くは、早期退職者を募ることが多い。会社によっては削減規模を外部に明示することもあるし、しないところもある。
私がいた会社では、まずは社員を2割削減。それを3度繰り返し、0.8→0.64→0.51として、約半数までに絞るつもりだという話も聞いた。真実かどうかは知らない。だが残っていてビクビクしていて、さて、いい仕事ができるんだろうか?それとも、平気な顔をして、社内に残りながら、脱出の算段をし始める人ばかりなのだろうか?
どこでも言われることだけれど、こうした施策の場合、「価値のある人」すなわち、他の会社においても仕事ができるであろう人から、先に出ていく傾向が強い。「おいしいジュース」は流れ出やすい。残り物は推して知るべしのケースは少なくないのだ。

同時に、売れるものは何でも売り始めた。ビルの所有権から、グループ企業から、他社持ち株まで何でも現金化し始めた。まだ表ざたにはなっていないさまざまなものも、そのうち現金化する計画も聞こえてきている。数年前に戦略として保有したものを、あれよあれよという間に放出しはじめている。戦略、どこへ行っちゃったんだろう。

もちろん福利厚生も切り始めた。広い意味では財閥系ではあるものの、土地資産などの少ないその会社においては、ただでさえ福利厚生があまり充実していないところを、切り詰め始めた。
細かな支出ルール、たとえば、接客時のお茶やお弁当の値段もケチり始めた。

2013年6月の株主総会においては、それなりの数値は打ち立てられるかもしれない。が、その中身をよくよく見てみれば、本質的なその会社の技術や売り上げから本来成り立っていなければいけないその数値は、資産の売却によって飾られた利益である部分が大きいことは見て取れるだろう。

 

この3月いっぱいで私が辞めたと同時に、これまでにない、本当に多くのキーパーソンが抜けていくという話が流れる。友人の間では、その会社を辞めた人たちで結束して会社を設立すれば、それだけでひとつ大きなことができる会社ができそうなくらいに、スキルもノウハウもあるベテランたちが吐き出される。

懇意にしていただいた、まだその会社に残っている人たちには頑張ってほしいとは思うものの、その会社にそれほど未練を感じていない自分がいた。これほど「悲しくない」のかというのも、自分なりに不思議だった。
憧れて入った会社、希望を持って入った会社だったけれど、ここ10年ほどで、すっかり様変わりしてしまった。

ただ、その会社の分子が、社会にたくさん散らばっていく。実は、社会にとっては、それは幸せなことかもしれない、とも思い始めている。
そんな、社会にとって役立てるように、しばらく時間をかけて、次の仕事を探し始めようと思う。