やわらかいまゆ

子供のころに親に言われたことがある。いい友達を作りなさい、と。

小学生ではたぶんわからない。友達なんかいっぱいいるし、と思っている。一緒に遊べる楽しい仲間、それが友達。

しかし思春期を迎えるころから徐々に複雑な自分が見えてくる。楽しい友達ももちろんあるけれど、楽しいだけではない友達の意味も分かってくる。

早い人では高校あたりから、遅くとも大学に入るころになると、幼少期からの同地域をベースとした友達という形ではない「友達」が増えてくる。私学などならもっと早いか。

 

そして今ならわかる。本当に、良い友達/友人に恵まれているということが、どれほどお金には代えがたい価値があることなのか。いや、金を出したって買えないからこその友達。

それは自分事としてだけでなく、「私の友人」が持つ友人のつながりを見ているだけで、その素晴らしさや意味をかみしめることができる。素晴らしい友達をたくさん持っている人の多くは、とても素敵な人たちであることが少なくない。

 

 

だからと言って、SNSfacebookで友人を増やしましょう、なんてことが言いたいわけじゃない。そんな形だけのつながりや、数を競って増やせばいいのではなく、“本当の友達”がいることの意味。

 

それは「頭がいい友達」という意味ではない。「お金持ち」という意味でもない。人間として優れた素晴らしい友達。一言では言い表せない人として魅力のある友達。好敵手として、良きパートナーとして、良きアドバイザーとして、良き伴走者として、気の置けない仲間として。

 

そういう人はどこにいるのか?どこにでもいるのかもしれない。ただ、比較的多く生息している場所というのもありそうな気がする。そしてそうした良い友達候補が多く生息していそうな場所は、当然ながらみんなが行きたがる所。行きたいと憧れる場所。必然的に競争率も高くなることもある。一般的には勉強ができるなどといった、みんなが憧れる集団である可能性も高い。(もちろん、そうでないところにもいるのだけれど)

 

勉強をするのは、自分自身が学ぶためでもあるけれど、誤解を恐れずに言うならば、良い友達に出会う、良い友達を作る確率を高めるためでもあるんじゃないかと思う事さえ。勉強など二の次でいい。本当に良い友達ができたなら、そのこと自体が勉強を牽引さえしてくれることもある。

 

たくさんの良い友達ができれば、それはそれでラッキーだ。とても恵まれている。でも数を競うものじゃない、数は追わなくてもいいかもしれない。ほんとうにすばらしい友達なら、一人いるだけで素晴らしい宝物だ。いや“宝物”なんていう陳腐な言葉じゃ語りつくせないくらいに大切な存在だろう。

 

どうすればそうなれるのか?そんな友達が得られるのか?

きっと、あなた自身が「誰かのそんな素晴らしい友達になろうと努力すること」こそが、あなたに素晴らしい友達をもたらしてくれる近道だったりしないかなぁ。