明日の方向

家電王国日本では(かなり乱暴ではあるのは承知の上で)二つの軸で商品化が進んだ。

ひとつは大きさ。もう一つは機能。

 

当たり前だけれど、大きさに関しては、「より大きくする方向」と「より小さくする方向」がある。

 

テレビで考えるなら、昔なら14インチ、20インチていどが売れ筋だった家庭のリビング向けのから、21、29、32、40…と大きくしていった。ブラウン管から液晶に変わったことによる軽量化の影響も相まって、今どき30インチなんて珍しくもなくなった。昔なら重くて嫌われたサイズであっても、今なら大きくても軽いことで許容されている大型テレビというポジションもある(まぁ配送にかかる必要人数みたいな、かなり見えにくい部分もあったりするのだが)。

サイズが小さくなる方向/パーソナル化の方向は、ブラウン管時代からもいろいろと試みられていたけれど、ケータイがカラー化、小型化、さらに放送がデジタル化したことによって、「テレビ」カテゴリーからケータイや、スマートホン、タブレットへとカテゴリーチェンジの波をかぶって、「テレビ」カテゴリーとしての売り上げが奪われた。「テレビ」としては小型化方向への戦略はすっかり奪われ、サイズとして大きくする方向へ逃げるしかなくなった。

 

 

機能面に関しては、「多機能化」あるいは「高機能化」の方向がほとんど。ごくごくたまに「少機能化」「低機能化」のものもなくはないけれど、ほとんどできない。なぜなら「少なくなる/削ることによる“付加価値”」や「機能が下がる(複雑さを解消し、使いやすくする)ことによる“付加価値”」を、正しく判断でき、責任を負える人がいないからだ。

 

録音/再生機能が当然のラジカセ時代から、録音機能をとりさったことによる“ウォークマン”の発明は、その点から見ても本当に稀有な例であり、会社創設者、ファウンダーが責任をとる覚悟を見せたからこそできた発明である点は非常に大きいと思われる。

違う言い方をすれば、「機能を減らしたり、複雑で使われなかった機能をシンプルにしたことをもって、“売れない製品になった”とマーケットからの売り上げ報告が上がって来た時に、すぐに矢面に立たされる」というリスクは、既存の会社の雇われ事業部長では負えないからなのだろう。

 

 

でも、それでも信念を持ってモノを作っている人はいる。これじゃいけないと1エンジニア/1デザイナーとして上長と、事業部長と戦っている人もいる。そうした人たちすべてが正しい、というつもりもないけれど、かなりのそうした正しい人たちが、リスクを取れない上長判断によってつぶれて/つぶされて行き、結果的に会社としても成果を生み出せない状況が続くのは、それこそ当人も、部署も、会社も、モチベーションを下げる要因になる。

結局、いかにリスクを負って果敢に挑戦し続けるか、そしてリスクを負った結果として、負けた時の保証と、勝った時の報酬とが正しいレベルにあるか、もしくは失敗しても再度“正しく”チャンスが巡ってくる形になっているかということがカギになる。

 

やっぱりそういう意味では、資本主義とはいえ、日本は“右肩上がりの資本主義”が前提の仕組みになっていたんじゃないのかなぁ。

誰もが望んで失敗などしたくない、けれど、挑んでいかなくては生きていけない。そんな世界でも果敢に挑戦していける、明日は。