火のないところ

先日、友人宅でのパーティーに招待され、楽しいひと時を過ごす機会があった。参加者の一人の方の記念日が近いということもあり、小さめのホールケーキを購入し、ろうそくを一本入れてもらった。

 

こぢんまりとしていたけれど、場は楽しく、話が弾み、おいしい食事も一段落。そこでそのケーキを取り出し、切り分けていただいた。どっしりとした濃厚なチョコが口の中に広がり、とてもおいしいケーキ。

 

話はケーキを箱から取り出した時にさかのぼる。記念日だからと入れてもらったろうそくを立てよう、と話をしていたのだけれど、さて「火」がないのだ。だれもタバコも吸わないし、そのお宅にはマッチもライターもなかった。

 

 

人類を人類足らしめる大きな役割を果たした一つの要因に、「火」を手に入れたから、ということを聞いたことがある。だが昨今、お年寄りのご家庭においては、裸火であるガスコンロは徐々に敬遠され、代わりに電磁調理器が大人気なのだとか。火が危険だというのももちろんあるのだろうけれど、それ以外にも掃除がしやすいなど、他の要因にも起因している。

 

火がない代わりに、調理の多くは電気に頼る昨今。電磁調理器にしても、電子レンジにしても、給湯器、炊飯器、食後の食洗機にいたるまで、電機がなくては成り立たない世界。

別に調理に限らず、こうしてBlogを書いているパソコンも、みんなが普段使っている携帯電話も、電気がなければ動かない。

 

こう考えてみると、「火」を手にしたがゆえに、地球上において人類は絶対的な地位を得、さらにそこから何千年もかけて「電気」を手に入れたことで、文明はさらに次の一歩を踏み出した。

ただし、火を手にしたことで火を作る場をコントロールしなければならなくなったのと同様に、電気を手に入れたことで、電気を作る仕組みをコントロールしなければならなくなった。それを水力で作るのか、火力で作るのか、原子力、風力、太陽光、地熱等々でつくるのか。火のない世界をどのくらい享受するのか、どうやって享受するのか。いやほんとうに電気だけに頼り切ってしまっていいのか?

 

実はキャンプなどで、一番癒されるのが、“たき火をいじりながら誰かと語り合ったりする時”だったりするんですけどね。

キャンプの季節も近い。