「旧」

常に新しいものを生み出し、価値を生み出していかなければならない社会。それこそが、社会を発展させ、経済を回す。という考え方により、ここ何十年何百?年と発展してきた社会。

 

どの分野でもよいけれど、ちょっとためしに作ってみて、お披露目するために、あまり考えずに名前を付けて…。たいていは、これが当たることはまずないけれど、時におもわぬヒットになったりして。でも作った方としては、いろいろとまずいところ、不本意なところが見えて。直したいと思ったところをきちんと直して、細かいところも整えて、新しいものとして出したい。…が、すでに名前が付いた前のモノがある。

 

こんな時、前のモノが「○○」という名前なら、新しいものを「○○2」と言った名前にするのが一つのパターン。他にも「新○○」とか、「○○Ver2」といった形にすることもある。

 

 

ところが、世の中には違ったネーミングをする例もなくはない。

先に存在する「△△」があった後で、新しくその近くに△△に似たより便利な物を作った時。新しい方を“新たに”「△△」とネーミングし、以前から存在していたものを「旧△△」と呼びなおすことにしようとすることがある。

 

今一番よいものに、正しい名前を付けたいであろうことは想像に難くない。が、これはかなりの負担だ。すでにいろいろなところで使われているであろう「△△」というネーミングをすべて「旧△△」に置き換えねばならない。その置き換えるべき情報をすべて置き換えられるのであればまだしも、すでに印刷されたものや、個人の手にわたっているものにおいては、そうした置き換えはできない。となると大きな混乱が生じる可能性が高い。

さらにそうして置き換えができたうえで、新しくできた「△△」を制定しなおすことになる。が、この時点において、新しい「△△」が載った情報と、自分たちの管轄以外で書き換えられなかった情報を手にしている個人が見ている「△△」という昔の情報との整合性が取れなくなる。

もちろん、そうした情報のアップデート自体を、“サービスです”として、金を取るというのも一つだが、本来的にそれは無駄な支出、かけるべき負荷のかけ方ではないだろう。

 

 

情報工学、いや、プログラムなどに少し詳しい人であればどこかで聞いたことがあるかもしれない。“名前空間”において、新しいものが古い名前を冠されて置き換えることは、かなり難しい。古いものが実質的にすたれてしまったけれど、その名前自体に価値があるときに、改めて置き換えられる、というのが本来新しいものに乗り換えられるチャンス。そうでない場合には、似たような、でも新しい名前を付けるので精一杯。

ま、だからこそ、最初のネーミングでガッツリ悩んだり、もしくは最初のリリース時の品質で神経質になったりするんだが。