引きちぎられた景色

昨年末の自民党の躍進あたりからアベノミクスが喧伝され、株価は上がり、為替は安値に傾きだした。メディアは景気浮揚かと騒ぎ、それで人も期待しがちになる。景気のエンジンは「みんながそうかもしれないと思うこと」であり、まさしくこれを原動力として株価が動き出している、ということなのだろう。

 

だが実態経済がどうか?というと、多くの人々において、給与が明確に上がったという声はあまり聞かない。当時のニュースでは、一部企業でボーナスを上げたい、なんていうポジティブな声のみが取り上げられていたけれど、実態はなかなかそれ以上に進んでいなかったということかもしれない。大企業、日本の場合は輸出企業が多いこともあるからか、まさに円安の効果をうけて、業績が上がったように見え、給与も上がった人もいらっしゃるかもしれない。が、そもそもそんな大企業に努めていらっしゃるのは社会人の数%と言われていることもあり、実態への効果はまだまだ…。

 

逆に、円安の輸入側の効果はあちこちに見え始めている感じで、ジワリと値上がりしているもの、額面上は値上がりしていないけれど、内容量が減ったり、モノが小さくなったりしている物品は少なくない。そういう小細工ができないガソリンなどは、値上がりし始めているのが露骨に目に見えたりもする。

 

 

そんな中、あちこちの街で変化が起きているような気がする。もっともわかりやすいのは、閉店する店が増えているのではないかという事だ。

 

私が今住んでいる小さな街で、ここ数か月の間に店が4つも閉まった。いや、これまでにも閉店して新しい店になりという新陳代謝はあったのだけれど、この4つはどれもここ10年以上ずっと続いていたお店。いったい何が影響して閉店につながったのかは全くの不明だけれど、このタイミングでこの手の店がバタバタと閉まるのは解せないところがある。そのあとにどんな店が入るのかはまだ決まっていない。

住んでいる街だけではない。先日新宿を訪れる機会があったのだけれど、以前ならすべてに店が入っていて当然の商店が並ぶところで、シャッター通りとまではいかないまでも、閉まっている店が目立つ地域があった。別に人通りが少ないところではない。新宿駅から地下道を通じて歩いていける範囲においてさえ、そうしたシャッター通りが広がる現状。大きな街は大きな街で、商業施設が一つできることで人の流れが変わり、影響を受けることもある。もしかするとそんな“引力”の競争で敗れた地域なのかもしれない。

ここから、地方の老舗商店街は推して知るべしなんだろう。そうそう簡単に、今までのようなお店があとから入ってこない。

 

今ならだいたいそうした跡地に入りそうなのは、土地が広めだとパチンコ屋、狭めならコンビニか100円ショップ、ファーストフードのような店が多いというのが印象。すでにパチンコ屋もコンビニも100円ショップも近くの商圏にある場合には、閉店した後に入る別の店がなかなか出てこないということにもなる。もう必要なお店は数えるほどってわけだ。

 

 

こうして、人通りのありそうなところは、パチンコ屋、コンビニ、100円ショップ、ファーストフード等々というパターンが出来上がる。この並びが切れる場所が、人通りが切れる場所。

街としてはそれ以外に、街の中核としての大きなスーパーが1軒あるか、もしくは郊外型スーパーがあれば、それでひとつの形が出来上がってしまっているところがある。

日本全国、そんなにあちこち訪れたことはないけれど、たぶんどこへ行っても同じような店の並び、同じような景色が並ぶ。地方色はほとんどない。これにチェーンの居酒屋何店かが加われば、駅前の景色は出来上がる。

 

少しでも安く、少しでも便利にという要望と、それに応える企業努力から、安く、そして便利な品ぞろえの、ある意味現在の消費活動の完成形に近いものがそこに広がる。それは企業としての努力の成果「競争」「効率化」が結実した物ととらえられなくもない。

 

「効率化」という言葉が、日本全国を同じ街に作り替え、どこへ行っても変わりない、どこへ行っても利便性の変わらない、どこへ行っても味気ない景色へと変えることになる。街を変え、店を変えれば、働く人たちも、働き方も変わる。働く人たちが養っている人たちも変われば、生活の隅々までが「効率化」の影響を受ける。

 

効率化すべきところは確かにまだあちこちにあるし、そこ効率化すべきだろうと思う所も少なくない。が反対に、そこを効率化していいのか?効率化という言葉で、実質手抜きになっていないか?という場所もある。他方、効率化すると品質が下がるという言い訳で、本質的に効率化のメスが入っていない所に切り込めずにイライラしている人や組織もある。

 

そして、「いちばん鎖の弱い部分」から社会が引きちぎられていく。

再生しないシャッター通りは、いつまでも傷が治らない体のように、痛みはいつまでも癒えない。