楽しい事なら

友達と飲みに行く。

おいしいお酒、おいしい料理、おいしい話に花が咲くのは楽しいひと時。

時には、思わぬ話から思わぬイベント開催の約束をしたり、もしかするとちょっとしたビジネスにつながるような決断なんてのもでることがある。

 

反対に、そういうビジネスを運営すること自体が目的なのに、会議はつまらないものが多い。特に、毎週定例だとか、お偉いさんがこぞって集まってくるような会議こそつまらない。

日本の会議の多くは「報告会」であって、何かを決める「会議」ではない。それゆえ、ネーミングは「○○会議」であっても、実質報告会である中身は、下から上への方向が上がって行き、「うむ、よしそのまま進めなさい」「そこ、どうなってるかもっとよく調べなさい」「なんでそんなことになってるんだ、なんとかしなさい」のたいていどれか。

で、それを「会議」だと思いこまされている人が増えているからこそ、会議でまともに事が決まらない。

 

決めるということは、責任を持つということ。そして責任を持つためには、今目の前にあるよりも、より詳しい情報がほしくなる。なぜなら、手に入る“はず”のすべてを知った上で判断したいから、やばい責任は負いたくないから。

 

でも、その対象がが面白い事だとわかっていたら、感じられたら、少々責任が突きつけられようとも、そんなことは面白さ、興味で吹っ飛ばせたりする。それこそ、面白い、興味深いからこそ、自分で調べてしまうし、それゆえに自分でわかってしまう。

だから面白いと思える仕事はガンガンまわりだす。だって面白そうだもの。責任、とっちゃうよぉ。面白いんだから全然気にならないし。

 

そう考えてみれば、その決断を下す内容に、特段の面白みを感じなければ、そりゃぁ苦痛ばかりが突きつけられる。責任はできれば回避したい。でも、誰かが負わねばならないから、確実な判断のために、より多くの情報/状況を求めてくる。

 

ということで、本来の会議らしい会議はなかなか開催されず。そして決断がほしい会議では、「今この場に出ていない情報を出してきなさい、それから判断しよう」とされるのが関の山。

 

 

ま、だから飲み会ってのは、結果も必要ないし、面白い事を話したいだけだったりする。なので、楽しいし、時に面白い決断が下されたりする。