喜び

小学校のころは、まだ担任の先生の牽引力が強く、よほどの才能や行動力がない限り、自分たちの力を実感することは難しい。

 

しかし、中学、高校にもなれば、自分たちの力で、たとえば文化祭を成し遂げたり、スポーツ大会において、チームで大きな成果を勝ち取るという感動を味わえる。

 

チーム。改めて言うほど特別なものではないけれど、これほど人の力を拡張できるものはない。

最初は、たかだかクラス単位の文化祭が成功する程度かもしれないけれど、それがやがて100人を動かし、300人を動かし、1000人を動かすようになれば、より大きな成果につながるのは当然の事。

チームとして形にならなければ、人を宇宙に送り出すこともできなかっただろうし、巨大な建造物も作り上げることは難しいだろう。

 

であるにもかかわらず、私は、そんなチームを「どうやれば作れるのか?」とか「どうやってチームに成っていくのか?」などということを教わる機会がなかった。なんとなく、クラブ活動から、学生生活から、自ら感じ取りなさい的な状況は、いまでもあまり変わりないのではないだろうか?

 

たまたまその生活の中で、そうした強烈な印象を受け取ることができたものが、それを支えに、その後の人生を歩みだす。でももし、そうしたことを、そうしたチームの価値を、擬似的にでも味わうことができれば、世の中、もっと成功したいとか、大きなことをやれるようになりたいという希望を見いだせるんじゃないだろうか?

 

どんどんと「個人」を競わせることで、実は互いに助け合うとか、信頼しあうことをそぎ落として、(本来は背反することではないにもかかわらず)チーム化を阻害するような教えが広まる。それでは本当の、成し遂げる喜びなど、味わうことができないんじゃないだろうか。