楽しいと楽

「楽しい」というのと「楽(らく)」との間には、きっと大きな溝がある。

 

「楽(らく)」には基本、努力はいらない。今までの知識や経験で乗り越えることができ、とくに新しい何かを得られるということはない。

簡単にできてしまうだろう。それゆえに楽しい瞬間もあるかもしれないが、それがずっと続くとなると、たぶん間違いなく、それはつまらないものへと変化するだろう。

 

それに比べて「楽しい」という私の感覚は少し違う。そこには今までにはない小さなチャレンジが存在している。だが、全然越えられないものではない。ちょっとした工夫、努力で超えられる。

そうした工夫、ちょっとした努力、そしてその成果としてそこを乗り越えられるという喜びが、小さな楽しさを生み出す。

 

ゲームで考えるとわかりやすいだろう。「楽(らく)」なゲームを、ずっと続けてやり続けようとは思わないだろう。なぜならつまらないのだ。何の努力をせずとも、すべて乗り越えられてしまう。

友人と競争するというゲームなら、「そのゲームを楽しむ」ではなく「その友達より上に行く」という楽しみは存在するかもしれないが、それはそのゲームが与えてくれるというよりも、そのゲームへの「慣れ」が与える優越感でしかない。

「楽しい」ゲームは、少しずつ難易度が上がる。それがどのくらいずつ上がるのか、いきなり越えられないことが出てこないという絶妙なバランスこそが、ゲームの面白さを作る。楽しいということは、絶妙な形で苦難を超えていくことに他ならなかったりする。

 

ただし、現実の世界において、そんなに絶妙な困難が、都合の良い順序で現れることはまずない。だから時には大変苦労をする。時には何の苦も無く簡単に超えてしまうこともある。だから自分で乗り越えるべき苦労の順番は、自分で切り開いていかざるを得ない。ちょっと回り道したり、軽々と飛び越えたり。まともにぶつかって進めないぃぃぃーと言っていてもラチはあかない。工夫が必要なんだ。