教わりたかった事

高校までの12年間、いや、たぶん大学4年をいれての16年間で、いったいどのくらいになるだろう。

この16年間で習う事の大半は、既存の知識を理解し身につける事と、それを使って何かを発見する事じゃないだろうか?その反面、いったいどのくらいの時間、発見ではなく発明、そんな大それた事でなくていい、作り出す事を学ぶだろう?

 

創造性を学ぶといえば、小学校での図工、音楽と言ったところだろう。それ以外の教科で、学ぶ事が創造性と直結している事は、生徒のうちにはまず想像できないのだが。

しかしその図工であっても、音楽であっても、絵を描きなさいとか、歌を歌いなさい、楽器を演奏しなさいということが主であったりしないだろうか?少なくとも、そこから何かを作り出す喜び、新しいもの、新しいことを作り出す、生み出す楽しさを体験させてくれる先生というのは、私の時代にはいなかった。

もっと言えば、創造性のためのスキル、技術を知る機会など、なかった。

どうすれば創造性が広がるのか、アイデアをわき出させることができるのか、誰も考え事のない発想にたどり着けるのか、そういうテクニックを知る機会がなかった。

そしてそのまま会社に入り、創造性にテクニックなどない、持って生まれた才能で、ない人にはないのだなどとあきらめさせられる場面が多かった。

 

でもたぶん、うまくリードしてくれるメンターのような人がいれば、創造性は開拓できる。いや、その多くの部分が才能によって支配されているかもしれないけれど、少なくとも後天的にテクニックでカバーできる側面があることを実感することはできる。

そう「できる」ということすら知らない事自体が見識を狭めるし、可能性を自ら殺していることにならないだろうか。

テクニックを教えられる人がまだ少数であったとしても、そういう可能性がある事だけでも教えておく事で、可能性の芽を自ら摘みとってしまうことをさけられるんじゃないだろうか。

 

どんなに小さな事でもいい。自分で創りだせたら、そんなすてきなことはない。