充実
「リアルが充実している事」などを称して、「リア充」と呼び、そうした投稿、ツイートを揶揄することがある。
本人が、リア充を意識して出しているという側面もなくはないだろうけれど、そんな意識などなく、投稿、ツイートしている人もたくさんいるはずだ。
facebookをはじめとするSNSやTwitterは、自分たちの活動や思いをポロリと吐露する場。あぁ、楽しい、みんなにもこの楽しさ、素敵な情報、この情景を見てほしいな…と思うその心をネット上で表すやりかた。言い換えれば、友達と食事に行って「ねぇねぇ、このサラダ、おいしいね!」と隣の友達にいう一言をネットを通じてやっている事、ってのが事の始まりのイメージだと思っている。
なので充実している云々と言うのは、
「“その人はきっとこのくらいで充実していると思っているだろう”というあなたの考え方」
を基準として、充実度を測っているに他ならない。
その人に直接“充実度”を聞いたのなら話は別だ。がそうでないなら、一般にそうであろうという、“あなたの思いの基準というスケール”で充実を判断しているに他ならない。
人によっては、高級フランス料理で満たされる人もいれば、海外から久しぶりに帰ってきて、おいしいお茶漬けとおいしい漬物で、ほっこりと満たされている人ももちろんいる。
自分の基準で他人を判断しても意味がないし、他人の基準で、自分の価値を判断するだけでも欠けている。
自分はどうなりたいのか、どうなればうれしいのか、それを自分が持った上で、自分でその方向に向かっていかなければ、「他人の充実を自分の価値観で評価する評価者」にのみ成り下がってしまうってことだ。
# おいしいお漬物が食べたい。