プロの定義

プロとアマの境目がだんだんとわかりにくくなっている、などと言われて久しい。

確かに、昔はこんなことはプロにしかできないと思っていたような機材が、PCの能力向上をはじめとして、カメラの性能、マイクの性能等々の向上により、誰もが作れる、できる世界が広がった。それは映像の世界だけでなく、音楽や、芸術の世界などでも同じこと。

でも、今でもプロとして通じる実力を持ち続けている人も、もちろんいる。

 

要するに、こういう事ではないのだろうか?

プロには、これまでの一般人には手に入らない機器を操作することが許されるプロという、操作系のプロ(a)と、センスとして能力として高いレベルのものをもつプロ(b)の二つの種類があり、昨今の機器の高機能化、低価格化によって負け始めているのは(a)のプロで、そういう状況になったとしても生き残っていけるのが(b)のタイプのプロだと。

であるがゆえに、これまでそういう(以前は)高価な機器だったものに触れることができなかった人で、センスを持ち得ていたような人が、ジワジワとプロに台頭し始めてきた、ということかと。

 

もちろん、以前の世界において、当初は(a)のタイプであったけれど、そうした機器の操作に長らく触れ続けることで(b)のタイプのセンスが磨かれて、本当のプロになった、と言う人もいらっしゃるだろう。

今の環境、多くの人々が機器の制約により阻まれることなく、その素晴らしいセンスを伸ばせるという世界が広がりつつある昨今。…であるがゆえに、逆に考えれば、そうしたことに自分から飛び込んでいけるのか、動いていけるのか…ということが問われる世界に。

 

望めばできる世界。
だからこそ、望まなければやってこない。
口を開けて待っていても仕方がない世界。