嫌われた時代

たぶん今30代以上の方々にとっては、SNSという装置は会社に入ってから出来上がったものだろう。今、当時の仲間からfacebookをはじめとするSNSへのお誘いが入ったりして、旧交を温めている人も少なくないはず。懐かしいねぇ、今度食事にでもご一緒に…という方の話は、私の周りでも時々聞く話だ。(この世代を仮にB世代と呼ぶとしよう)

 

だがそれより若い人たち、これからの人たちにおいては、たぶん子供のころからSNSは存在していたであろう時代。こうなると、そもそも学校などのコミュニティに実際に在籍している時代から、そうしたSNS上でのコネクションも始まる。(この世代を仮にA世代と呼ぶとしよう)

 

B世代の特徴の一つは、つながらない友達もいると言う事。それは、中の良くなかった友達かもしれないし、当時は仲が良かったのだけれど、今や消息不明という友人だったりもする。

片やA世代の特徴の一つは、基本的に一度つながると、そのツールを捨て去らない限り、もしくは忘れ去ったり、違うアカウントを作っていかない限り、決して離れることがないということ。たとえ当時仲が良く、その後に大きな喧嘩別れをしてしまったとしても、明示的に切らない限り切れていかない。要するに忘れ去ることができない。

こうなると嫌われたら最後、いったんコネクションを作ってしまうと、嫌われないように行動することに縛られる。

 

ネットは、忘れてくれないメディアだ。人間が再度掘り起こすかどうかは別として、いったん記録されたら最後、基本的には残り続けるメディアだ。
それまでの時代の人間は、都合の悪い事、思い出したくないことは、時間が消去してくれた。よほどの有名人や芸能人的な人ならまだしも、普通の人にとっては、そうした記録はほとんどなかった。
しかし今やネット上の経緯は、そのほとんどが記録されることになっている。いや、そうすることを社是として掲げている巨大企業まであるくらいだ。それはもちろん、良いこともある。けれどそれまでの人類が経験したことがない事でもあるので、何が起きるか、どのように利用されるかわからない時代でもある。

 

有名人の過去の写真が一度流出したら二度と取り返しがつかないのをはじめとして、一般人においても、一度嫌われてしまうと修復できない…と、今は思い込んでいるところがある。もしかするとそれが近々克服されるかもしれないし、人々の考え方も変わっていくかもしれないけれど。