変化を知った時には

季節の移り変わりは日々毎日起きていて、特に日の出の時間や日の入りの時間などは、物理的な太陽と地球との位置関係であるため、日々規則正しく一定割合で変化しているのは言うまでもない事。

にもかかわらず、たとえば9月から10月にかけて、夕方の日が暮れるのが早くなった…などという時候の挨拶として交わされることも少なくない。

自分が当事者としてその中にいると、実はその変化がよくわからないことがある。

日々成長する子供も、半年に一度会う祖父母から見ると大きな成長だけれど、毎日見ているとわからない。
日々鏡で見る自分の容姿も、年に一度会う友人から見ると、太ったり痩せたりなど、変化はすぐに見て取れる。

 

自分たちが体感している環境、それが経済状況であろうと、社会状況であろうと、やはり似たような状況にあるのは、たぶん間違いがない。そしてその変化は、「変化をさせてやろう」と思っている者からすれば、着実に、そちらに動かしていく。意思をもって、目的をもって動かしていく。ただ、そういうことに疎いと、なかなかそちらに向かって動いていると言う事は、中にいてはわからない。そして、大きな変化となって自分を取り巻く状況変化が体感できるころには、すでに引き返せないところにいたりする。

すでにその舵は切られ、元には戻れないかもしれない。