ピース

ジグソーパズルの最初は、全くもって全容が見えず、手にしたピースが意味のない柄のついた、ただの塊にさえ見えてくる。

 
ところが、ある閾値を過ぎると、一気にピースのハマるスピードが上がり始める感覚が生じる事がある。
ここだろうと思ったものがピタリとはまり始める。周りとの関係性が、それを受け入れることを示し、またピース自身が自分の所在を語り始める。浮き上がってきた空間自身が明確に次のピースを指し示し、そこにしかはまらないピースを呼び寄せる。
 
全てがつながり始める、知識が加速するその感覚。すべてがつながり始めるこの感覚。
知っていることがつながり始めると、なにか高揚感さえ漂い始める。おもしろい!楽しい!もっと、もっと!
そんな楽しさを、最初は100ピース、次に300ピース、500ピース、1000、2000ピースと徐々に大きく見せていく。
100ピース級の実力しかない子に、いきなり2000ピースを与えても、できないことばかりが強調される。いかにその階段をうまく導くのか、適切なステップを与えられるのか?教育者は、次の一段が大きすぎて乗り越えられない時に、そこに補助を出したり、場合によって一段が小幅すぎるときには、一気に二段飛ばしてもいいと進める事こそが、教育じゃないのかな。