付き合い方として

お役人仕事とか、形にばかりこだわってとか、実質を判断しない、といった人はどこにでもいるもの。それによって、許認可だったり、実質的効率が改善されなかったりすることもしばしば。

 
そういう人に話をしてみると、
「おっしゃる通りなんですよ。でもルールがねぇ…法律がこうでしょ?だから我々にはどうしようもなくて…」
要するに責任が負えないんですよ、私じゃ…てのばかり。
 
あまりにひっ被るものが大きい、この些細なひとつことで、判断者の人生を棒に振りかねない…なんてことがあれば、誰だっておいそれとはハイハイとは言い出せないもんだ。
 
もちろん、背負っていただかなくてはいけない場合もある。が、まぁ無理だろうなという場合が少なくないのも事実。
 
これは突き詰めるところ、責任の大きさ、所在があいまいで、背負うべき責務をきちんと背負いきれていない人がどれほど多いか…ということじゃないだろうか。現場押し付けに等しいのに現場に「責任」ばかりが落ちてきていて「権限」に見合うものがついていない、対価を考えると背負きれない。もっと言えば、たとえ米粒ほどの小さなリスクもとりたくない、危ないところには行きたくありませんという人が、上からそこへ落とし込んだり、その場にいたり。
結局この「安全志向」という、危険に近寄らない、ひいては、危険を学ぼうともしない(どこまで近寄れるかを学ぼうともしない)という気質が、いたるところに。日本における物事への処しかたが、いよいよ現代に合わなくなってきているのではないかと。
 
もう、こうなり続けて何十年だろうから、あすから一斉にハイッ!とひっくり返すわけにはいかないだろうけれど。
リスクとの付き合い方は、やっぱり中学生あたりから学ぶべきなんじゃないかと思うんだよ。能力じゃなくて、付き合い方として。