失ったものは

従業員と、会社、経営者とが、同じ方向を向くことができれば、会社は自ずから発展する。発展していないという時は、それは向いている方向が真反対なのか、もしくはずれていることが多いからだ。

 

違う方向、よくあるそれは、会社は儲けよう、社員をしぼるだけ絞って儲けようと思い。社員は、できるだけ楽をして儲けようといった時。絞りあげよう、楽をしようという思いは当然、相互に背反し、会社はうまく回らない。
いや、そんなつもりはないとどちらかがそう語るかもしれないけれど、たいていそういう腹づもりは、相手にはバレているもの。どちらか一方だけが是正してもだめ。双方が思いを入れ替えなければ成り立たない。
 
要は、いかに同じ利益の方向を向けるか、そうした事業、施策、成長方向を、会社が、管理者が、従業員に示せるのか?にかかっている。楽をしたところでそれだけではお金を稼げないのは従業員だって知っている。だから、多少苦しくとも、それに見合った儲けがあると思ってもらえなくては回り始めない。
 
以前ならば、それこそ高度経済成長と相まって、会社側が多少ボンクラであったとしても、社会全体が底上げされて景気が上昇した夢のような時代。だから従業員もそこそこに満足できた。
しかし今はと言うと、ボンクラ経営者では会社をうまく運転するのは至難の業。ちょっとでも気を緩めると、一気に坂を下りおりていく。悪い方に回りだすと始末が悪い。なんとか「正しい方向にまわりださせるために」従業員ともども協力せねばならず、経営者ともども我慢を強いられる。従業員だけのせいではないにもかかわらず、だ。
 
うまく回っていたとしても、利幅はさほど大きくない。それに昨今、景気が反転するリスクを考えると、会社の側で万一の場合に備えて担保しておきたい…。として、会社内留保されている金額がけっこうな額に。
同時に効率を上げろと社員に迫る。一層厳しいノルマを課せられて厳しい限りだが、給与は思ったほど増えない。これだけデフレ脱却と言われている昨今であってさえ、結果的に実質マイナス成長だというこの状況。数字が語る実態にどれだけ目を向けられるか。
となれば、会社側と従業員側は信頼できなくなる。そこまで金を出してもらえないなら、もうちょっと楽を。そこまで効率があがらないなら、もう少しリストラを。互いに崩れた信頼を取り戻すのは容易なことではないのは言うまでもなく。
 
失われた20年などと言われて久しいけれど、失ったのは単なる時間のみならず、実は大きな信頼関係ではないだろうか。それによって、結果として一番効率を上げるべき手段の再構築から始めなければならなくなって。
 
互いに信じられないチームほど、手がかかるモノはないのだから。
 
そして今、国民は国を信じているんだろうか?