ムダはいつ生まれる?

それは、その成果の上がらなかった作業が終了したことによって「ではなく」、その成果が上がらなかった結果を受けて、何も得るものがなかった、ということが決まった瞬間。

 
そういう視点で見つめてみると、いつも行っている仕事やそれらプロジェクトから得るものは、成果物というものと、教訓の二つが必ずあるはずだと考える。
いつも「成果物」しか対象として認識していなければ、「教訓」はいつもムダになっているということ。
「成果物」というのは、それをそのプロジェクトの外に出すことによって見える対価を得るもの。それに比して「教訓」とは、外に出したところですぐに価値を感じられないモノがほとんどだけれども、そうして形に残す、記録に残すことによって、良い行動、行いを促し、反対に悪い行いを戒め、さらにはより良い改善策で乗り越えていくという役目を果たす。
それも、形に残すことにより自分の記憶が固着化されるのみならず、他の人が使える知識に変換されている所がポイント。いわゆる暗黙知ではなくなるということ。
 
…にもかかわらず、世の中の大半は、そうした最後の記録を残さず
「はい、もう急いでるから次、次」
と次への「行動だけ」を焦る。もちろん、行動が迅速である必要はあるけれど、「そこでしか得られない意味あるデータ」を集める機会を全く無視してしまう事こそ多大な損失になっているのではないかということが、どれだけ認識できているか。
そこでしか、その時にしか記録に残せないモノがある。