いつでもアクセスできる事で、いつまでも触れる事がないものが増える

ネット時代以前。

テレビ番組は見逃したら終わり。再放送待ち、ビデオ化待ち。だから留守録機能が使える、使いやすいことで商品が売れたりしたのはもはや20年くらい前か。

 
そして今は、すぐにレンタルになったり、ストリーミング配信されたり。そもそも有料チャンネルを含め、テレビ番組でさえチャンネル数が増えたことで、探せばけっこう再放送にぶつかる機会も。
そうしていつでも触れられるようになった事で、ネットでのアプローチ方法までできた事で、どうなったかと言うと、
「なら、いつでもいいや」
結果、いつになってもそれに触れる時間はやってこないことに。
 
だって日々もっと重要な事があるのだから、今やらないとまずい事が目白押し。優先順位が上がらない事は、リストの下に沈殿する。
 
 
これまでは、触れられるタイミングが少なかった事(再放送、パッケージ化程度)で、とりあえず手に入るうちに、という消費活動が喚起されてきたところが。
でも、いつでも手に入るとするなら、本当にその真価が必要な時しか触れてもらえない。一度でもダメだと烙印を押されたら、それで終わる
 
オンデマンドが可能になればなるほど、真価を問われる時代に。
そうして相対的に、コンテンツ全般はどんどんと単価が安くなるように見える。
 
でも、ストリーミングや、ネットなどでのオンデマンドを通じてアクセスできるようになることで、手元に残らないけど1回のアクセス代金は安くなる。
が、皆に好まれる、見られる、聞かれる機会が増えることで、コンテンツ収入はそこそこに行く…という形に。
 
それが、ストリーミングと、パッケージとがごっちゃになっている、移行期である今は、見かけ上安くなっているようにみえるけど。みんなが本当に見たい、大多数が何度も見たいコンテンツは、結果何度もアクセスされて、見られる機会が増えて、収益も増えて…と言う方向に。
 
ただ、後世にならないと価値が認められないモノは、世に出にくくなるのかも。
これまでは、パッケージ化されていたことで、誰かが持っていた、誰かは認めていたという、リスク分散型だったのが、ネットでおおきくまとめられた意思ひとつで、みんながアクセスできる出来ないが決まる。
ネットの中において出さえ、そうしたモノがアクセスされないことで消去されてしまわなければいいけれど。マイナーが残る事っていう大切さが、ネットの価値、多様性の価値という特徴の一つだと思っている。