多様性と、強度

生物多様性は、強度と相関関係がある。

たとえば、ある生物を死滅させるような病原体が発生した場合、その生物が全個体が全く同じ一種類では、すぐに絶滅してしまう可能性があるからだ。
それらを避けるために、全く同じではないある種の多様性をもって、そうした病原体と拮抗していたりする。完全同一種はやられてしまっても、それに似た他の種類は生き延びる。種(しゅ)として生き続ける。
それができなければ絶滅。それは結果的に、その選択をしてはいけなかったこと、間違っていたことのはず。滅んでしまってはしょうがない。
 
 
 
多様な意見
これが認められないと、言論空間が滅ぶ可能性がある。
とある誰かの意見だけが通ったり、単一思考でドッと走り始めてしまうことで、実は間違っていた方向に進んでいくことがあり得る。
いろんなことに気付いているか?多様な視点でチェックできているか?これらをできない環境、意見が出ても無視する状況が出来上がると状況は厳しくなる。
いや、その渦中の人にとっては居心地が良い。なぜならば、多様性が無くなれば当然、話が通りやすくなる。反対意見が少なくなるからだ。典型的な状況は、Yesマンばかりが周りにいる状況がその一つだろう。
だけれど、そんな状況はどこかで破たんする。よほどの人格者でない限り、補正することは難しい。
 
強くありたいために、いつまでもあり続けるために、異なる意見を積極的に取り入れなければならない。より大変な方向、異なる意見を聞き取る方向に動かなければならない。それこそが強くする。メンドクサイ方向こそがより生き続ける方向になる。
自分の意見が自由に言えるのは、反論意見も自由に言われる環境を認めてこそであり、誰かに反論される、違う意見を言われる事を遮った瞬間に、その均衡は無に帰す。
 
…とわかっていてさえ、そちらの方向に進むのは難しいのに。
強くありたければどうすべきか。