戦うことに慣れていない

別に、物理的に戦いたいわけじゃない。今必要なのは、論理の戦いだ。

論理を戦わせる訓練、議論できる訓練、相手を説得する訓練、機会はこれまでにあったのだろうか。
 
意見に従いたくないわけじゃなく、
でも特に、意見表明、論理立てた話ができるわけでもなく、
相手のロジックを見抜く力、
自分のロジックを打ち立てる力、
ロジックの抜けを指摘して、正しくはどうあるのかを見据えて、
 
論理を立てるには、知識が必要だ。論理の堅牢性のためには、裏付ける情報が必要だ。どんな情報が使えるのか、どんな情報が欲しいのか、どんな情報が足りないのか。
それを、事前に収集するためには、どんな戦いになるのかを想像しておかなければならない。そこで必要な“武器”を準備するためには、想定された戦いを描けていなければならない。
 
想像し、足りない物を知り、自ら集め、準備する。
最初は一人でやらなければならないけれど、段々と専門チームが動き出せる体制もできたり。そうなってくればチーム、組織。
 
要するに、戦い方は小さくとも、大きくとも、基本は同じ。
どう戦うか、どう戦えるのか。
戦い方はどこで知るべきか。どこで学べるのか。