悪はあるのか?
多分、全ての戦いは、正義と正義の戦い。
「悪」だと呼んでいるのは、「正義」だと思っている側から見た「敵」の思想を、自分たちの概念で判断しているに他ならない。
だから、悪と言うのは、正義の側から見た相手の総称でしかない。視点が相手側に移れば、呼び方がひっくり返るわけだ。
だからこそ、昔のアニメ/特撮は、「悪」は宇宙のかなたからやってきたり、異次元からやってきた。彼らは我々とは違う、我々の取り分を脅かす「悪い」奴。僕らは彼らの側にはなれないのだから。
とするなら、人間と人間の戦いにした瞬間に、それをどちらから描くか?ということに焦点が当てられる。時にはこちらの、時にはあちらの視点にもなれる。
それを明確に描いたのが初代「機動戦士ガンダム」。
でもあの作品以前から、富野監督は意識し、実践していた。
それ以前の「海のトリトン」でも、トリトン族が倒してきた側から見るとどう見えたのか?「無敵超人ザンボット3」でも、攻めてきた敵はどうして攻めてきていたのか。
相手の視点に立ち、相手の要望を想像できるかできないか。
戦いの基本は相手を知る事からはじまるのは、孫子の兵法に学ぶのをはじめとして、ずっと語られ続けている。温故知新、原点回帰できるかは重要な事。
と考えると、自分たちとて「悪」でしかない。そう思われているなら?と想像できるかどうか。その前提に立って戦うのと、その前提がなく戦うのとでは、取るべき戦略は違ってくるんじゃないだろうか?
いや、悪が悪じゃ無いとしたら?そこまで考えが至る余裕がある、かなぁ。