働く事と、成果を出す事

日本では、働く事はたいてい、きちんと時間を守って、その時間、言われた作業をこなす、という形で、経済発展してきた。タイミングも良かったのだろう。経済復興期、人工増大期と重なったそうした働き方は、この国の敗戦後の復興において、大きな成果を生み出した。ただし、それはやり方が正しかったという印象を植え付けた側面を感じている。

 
その後、経済は停滞し、成果を生み出しにくくなる。いわゆるバブル崩壊以後の時期がそれにあたる。規定時間働いた、作業しただけでは成果が出ない。
 
 
「社会」は、成果に対して、受けられる施しに対して対価を支払うのであり、その経緯、努力に対しては特に恩恵は受けられない。納品してなんぼ、成果を出してなんぼ、というのが一般的な商取引。品質はともかく、何かに「結実」させなければ、受け取るモノは普通はほとんどない。
 
しかし、昔のイメージで働いてきた人、昔の価値観での仕事の進め方しか学ばずに来た人は、昔のままの仕事の仕方に陥りがちだ。現場にはさして指示も出さず、現場の判断で作業時間をこなしていれば仕事の成果が生まれていた時代と、今とは違う。
そのくせ、昨今の「成果主義事情」の情報も小耳にはさんでいることで、「お前は成果を出したのか?」と、自分の役割は棚に上げてメンバーに当たる。
もちろん、成果主義の意義は分かるのだが、メンバーは、基本的に「リーダーからきちんと目的や目標を指示されて動くもの」であり、「現場の勝手な判断で作業をした成果がでない」というのは、マネジメントも何もないに等しい。そうしたマネジメントをこなしていない上司から、成果主義を押し付けられるのは、自分の責務を果たさずに、義務だけを押し付けられていると受け止められても仕方ないだろう。
 
なので、一度そんな上司に尋ねてみたことがある。
で、私に対してのジョブディスクリプションを提示願えますか?と
しどろもどろになって、モゴモゴで、結局怒りで何とかごまかしてその場を取り繕っていた。その上司の顔と名前は今も忘れない。
 
だが、そんな人でも管理職になれていた会社なのだから、推して知るべし。もちろんそれは少数派で、中には優秀な管理者もいただろうけれど。
 
以前の職場からは、かなりの人たちが抜けた。もう、昔の形とは変わっているかもしれない。いやいや、まだ残渣が残っているかもしれないが。
たぶん、次の時代に入っているんだろう。どれだけ先に気付けるか…。