無駄の判断基準

今いらないから、と排除する。

だから直近で、興味のないものに出会う機会は、自ら捨てている。
 
しかし、少し長いスパンで評価したら。
あぁそういえば、あの時あそこで、こんな情報あったぞ、が役に立つ事はいくらもある。
 
ネットメディアでは、「今」いらない、「今」関係ないと、見ない、聞かないで排除する。
でも、雑誌という形や、テレビという半強制的情報垂れ流し状況があれば、興味がなくても、目に耳に入ってくる。隣のページ、つい流れているCMから得られた情報が、人生を変えることだってあるはずだ。
 
ジョブズも言っている。
役に立たないものなどない。その「点」を繋ぐのはあなた自身だと。そうした新たな「点」が生まれる機会を逃していないか?捨てていないか?
無駄だから見ない、興味がないから行かないという判断基準は、実はそれこそ何に根拠をもってそうしているのか。もしそれを見ていたら、聞いていたら、出席していたら、その先の人生、展開が変わることだってあるだろうに。
 
無駄が判断されるのはもっとずっと後からでいい。今すぐに判断しようとするから、結果として小さな視野でまとまってしまうことになっていないかな。
何でも見てやろうじゃないか。