そしてアナログに向かう

今、デジタルコンテンツの世界は、海外からの怒涛の津波にのまれようとしている。オーディオも書籍も映像も。デジタルコンテンツの形態をとるビジネスストラテジーは、海外の戦略のうまさ、日本のまとまりの悪さ、ビジネスセンスの無さなどなど、さまざまな要因で、決着が見え始めている。

 

そんな中、とは言え最後の最後に人はそれらコンテンツを「アナログ」で認識する。たとえばチケット、たとえばパンフレット、一期一会のコンテンツのみならず、形になり手にすることができるもの、アナログでそれらを実感し、愛でる。

 

たとえば、Amazonで何か商品を勝った人が「その商品を勝った人は、他にこんな商品も買っていますよ?いかがでしょうか?」とリコメンドされるのを経験した人がいるだろう。それがまさに今日本のコンテンツの現場で起き始めている。

 

日本の芸能界ビジネスは、一時はネットで収益をと考えていたようだけれど、やはり昨今は「物販」だ。モノこそが命。アナログが命。

であるため、手にできる形のものを「そのファン一人一人」に向けてアナログでカスタマイズしていく。

たとえば、チケット。大量のアイドルグループで構成されるようなビジネスの場合、そのグループの中の「誰と誰」を特に推しているのかを数値化し、そういうチケットをその場でデザインして発行する。となると、同じコンサートチケットに友達と連れ立っていく場合であったとしても、各個人でチケットのデザイン(印刷されているキャラクター)は違っていたりするのだ。究極の個人向けカスタマイズ。

 

すでにずっと以前からそうしたプレミアム感、その場でしか手にできないもの感はいろいろ工夫されていた。コンサート記念Tシャツ。○年度版といったデザインがそのはしりだろうけれど、それにとどまらず、究極の個人でのカスタマイズを施して、オンデマンドで、個人の好みに絞り込む。

 

いずれこれは、当然デジタルコンテンツの側にも波及するだろう。あるメンバー推しの人には、その人の情報ばかりが集まりだす。

 

そして、すべてが偏在し始める。誰も全体をつかめずに、すべてが思い込みなどの偏りになる。

でも、ネット時代以前って、そんなに情報流通がしていたわけでもなく、仕方なくそうなっていたんじゃないだろうか?そうしてギャップができている事、そこに差が、偏りがある事自体が、次のポテンシャルを生み出しているんじゃないだろうか?

 

逆説的だろうか。