傾向

企業が「革新」としてのイノベーションで、次の技術や次のビジネスの発展を取れなくなってきたことで、「効率化」への方向性で発展させようとして来てはや10年あまり。

 

企業は、企業内の効率を上げるために、会社運営の効率化、ひいては社員活動の効率化を目指す。いかに生産性を上げるか。いかに今までに比較してより大きな成果を上げるか?

 

当然ながら、企業として、法人として「取っていたはずのリスク」を、徐々に徐々に個人へと転嫁しながら進むそうした改革。もちろん、それだけの余力を残して仕事をしてきた人は、「個人で努力」することで効果を上げることもできただろう。が、それ以前から「個人でいっぱいいっぱい」だった人と言う人も当然いたわけで、そういう意味ではスタート地点が違う人たちが徐々に、「ハイ、スタート」と言われてはじめられた競争にもとらえられ。

 

当然ながら、それ以前から限界に近かった人は、限界を迎える。限界でなかった人はそこそこに成果を出せたとしても、それさえも当然有限ではない。その方向性のみで仕事を進めているだけでは、当然どこかで限界を迎える。

それでもそれを越えねばならない場合、何かにしわ寄せがいく。コスト?これはすぐに目に見える。スケジュール?これも期日は絶対。となると、一番すぐに判断されにくいところにしわ寄せがくる。それが品質。

 

安かろう悪かろう。某国生産の商品をこう呼ぶ人もいるが、今やそうした国がなければ、この国の製造はまともに回せない状況に。そして今、そんな某国での生産活動、国内活動を揶揄していた人も、自分たちの国で起き始めている状況に、揶揄できなくなってきていることに気づき始めている。

 

品質が悪い、手抜きが横行する、マナーが悪い…。一部「国民的危機」が醸成されれば、もしかすると今でも素晴らしき国民性が発揮される機会もあるのかもしれないが、そこまで極限でなければ、「自分くらいは…」という、企業が個人に押し付けた余裕削減分だけ、個人の振る舞いに影響が出ていないか?