そもそも論

効率を上げよ。コストを下げよ。

仕事の現場で強くプレッシャーをかけられる要因の多くがこういったことになっている昨今。

 

しかしそもそも、「何のために」コストダウンするのか?「何のために」効率を上げるのか?

コストを下げて、ちょっと品質が落ちたりなんかした商品やサービスを出す。でも、その「ほんの少し削った品質」が、実は「とっても重要なところで、そこだけは品質を少しでも落としてはいけなかったところ」だったりするとどうだろうか?

 

ある意味、本質である「そこ」を探りながら、徐々に徐々に攻めているのが企業側。そして、それを冷静に、そして確実に見つめているのが消費者側。

だが往々にして、企業の中において「そこ」を認識できずに動いている組織やプロジェクトがいかに多い事か。プロジェクトマネジャーがそもそもを認識していなかったりすると言うひどいものもあれば、さすがにプロマネは認識しているものの、そのプロジェクトのメンバーが認識していないというプロジェクトは枚挙にいとまがない。

 

何のためにやっているのか、作業として日々の仕事が進んでいる現場。それこそ「取り換え可能」な作業員に成り下がり、単なる作業工数としてしか意味をなさない。

ひどい会社だと、そうやって交換可能にせんがためにそんな説明をしないこともあるのだろうか?とても「良い」製品やサービスが生まれる環境には思えないのだけれど。

 

そもそも論が現場から出てくるのはまだ救いがある証拠。それをどれだけ救い上げられるか、汲み取れるか。疲弊したリーダーも少なくない中。一縷の望みをかけて。