怒られなくなったら
子供のころは、怒られるのは怖かった。
怖い親だったり、怖い先生だったり。場合によっては隣のおじさんのような口うるさい大人というのがいた。
だが時代がだんだんと、怒ることを遠ざけ、褒める形で育てようと変遷してきた。
多分これにより、「本来」は怒ることで対処しなければならないはずのところでさえも、なだめすかすと言った「怒らない形」を模索することにより、何かがゆがんだ。
その結果が今、社会に蔓延している。
誰も怒られたくない。怒られるとすぐにしぼむ。やる気をなくす。
褒められ続けていないとモチベーションが続かない人がいる。
一方で、昔から怒られる環境を恐れていた人は、少しでも上に、偉くなることで、誰からも怒られない状況を目指していたりもした。そうして、係長になり、課長になり、部長になり…。やがてあまり誰からも怒られない地位についている人たちがいる。安住の地…か?
でもそんな地位に上り詰めた人の中でも、意識ある人たちは、実は自ら率先して、新たな「怒られる環境」に身を置こうとしたりする。五十の手習いなどというのは多分そういう事。
もちろん、手慣れた、やり慣れた作業や仕事ではそんなにミスは出ない、からこそのそのポジション。なので、今までやったことがない習い事などで、誰かに師事したりする。別に自分より年齢が上のモノばかりではなく、その道に関して上位であれば、年齢は関係ない。
怒られなければ成長できない事もある、自らの意思で律し続けることが難しいからこそ、率先してそのような環境を自ら創り出す、そしてそこに向かおうとする。
とすると、やっぱり一生怒られ続けるわけなのだが orz。