当たり前、という価値

当たり前の価値を、「当たり前でなくなった時に初めて感じる」ようでは遅い。

とは言え、毎年ではないにせよ、数年に一度、関東地方は、雪で交通網が大混乱したり、台風で寸断されたりと、同じような過ちを何度も繰り返す。

 

毎日普通に、定時に来る列車に乗って、予定時刻あたりに到着できることのすごさ。

電車が遅れずに走ることのすごさ。

安全に食事ができる事のすごさ。

過ごしやすい環境で、仕事をしたり、寝起きができる事のすごさ。

風呂に入り、顔を洗い、水道水が飲めたりすることのありがたさ。

これら一つ一つが大きな価値で。
そしてそれらを営み続けるために、人々は日々働いているし、それこそが価値。
 
日頃は健康でも、風邪をひいたときにそのありがたみを感じるように、
日々の生活で、電車が定刻通りに来なくなったり、
安全な交通機関に頼れなくなったり、
安心できる食料が手に入らなかったり、
水が確保できなくなったり…。
そうなってから文句を言うのは、馬鹿でしかない。

常日頃から、いかにそれを継続できるか、より良くできるかを意識する。
いかに今の価値を毀損せずに、運営し続けられるか。
システムを回し続けられるか。
それぞれの思惑を尊重しながら社会システムを回し続けるか。
 
当たり前と言う価値を維持するために。
安けりゃいい、誰かだけ苦労すればいいわけ、無いでしょ!!