全ては「正しい」でできている

誰かと意見がぶつかる場合、それが個人同士、グループ同士、組織同士、国同士…なんであったとしても、それはそれぞれの「各自の正しさ」のぶつかり合いでしかない。

 

すべては「俺の正しさ」と「お前の(考える、俺は間違っていると思う)正しさ」の戦い。

 

受け入れろとは言わない。だが、すべて拒否できないこともある。正面からぶつかるのもエネルギーがいる。だから「違いが何か」を把握しなければ始まらない。

そして、互いに「違い」を理解するのが、実は結構難しい。

大抵は単純化して「自分の正しさ」を振りかざすのだけれど、細部に踏み込むと、実は「ここが大事」で「その周りはあまり気にしていない」ところもふくめて、「大事」と扱っていることがある。だから「語られている正しさ」が、実はざっくりした扱いであることが少なくない。

 

ただそうした自己認識を持てない人もいる。対立する目の前の誰かも同じように思えるか、考えられるか、というと、そうでない可能性がある、ということだ。

 

まさに、敵を知り己を知れば、百戦また危うからず。

噛みしめる。