次の課題をくれるのは

毎日楽して暮らしたい…とか思っている人は、たぶんたくさんいそうだけれど。

で、「楽」ってどういうことだろうかと。

 

単に「楽」な毎日なら、考える事すら必要なく、なんでも簡単にこなせ、それで毎日、食べる、寝る、生活する、がまわる、そんな生活。

だがたぶん、本当にそのような状態になったら、1週間と持たずにこういう状態になるだろう。

「退屈だ。何か面白い事はないのか?」

 

面白い事とは刺激だ。刺激は、驚きでもあるけれど、単に音が大きいとか、美しいとか言うもの以外に、知的刺激というモノもある。この「知的刺激」は「楽」ではない。ちょいと骨があるくらいでないと、「知的刺激」にはならないと思っている。本当に良い知的刺激は、「楽ではないが、楽しい」ということが、そう「楽しい」のだ。

 

楽ではなく楽しい。そこを目指さなければやがて生きていくことさえも辛くなる。

 

いかに楽しく暮らしていくか。それは小さな、でも何か工夫をしないと乗り越えられないようなものを常に楽しく乗り越えていくことができる事。要するに、今解くべき「適切な課題」を与えてくれる条件、状況がある事。

 

たぶん、状況はあなたの周りにある。往々にして気付いていないだけだ。そして、優秀な人はそれに自分で気づける。が、時にはそれを促してくれる人がいれば鬼に金棒。時にそれは先生であり、時にそれは親であり、時にそれは家族であり、時にそれは上司だったりする。

ポイントは「適切な」だろう。

 

場合によっては、「いやそんなデカい問題、私には扱いきれません!」ということもあるかもしれない。が、終わってみれば「あぁ、良くやって来たな」となることも少なくない。振り返れば大きなヤマを越えていたり、踏破していたり。

そんな課題を与えてくれる人。仕事ではリーダーのはず(…という役割を意識できてない人もたくさん見てきたけど、ね)。身内では家族だったり。

そして、とても優れた人は自分で自分に課題を与える。

たとえどんなに壮大だと周りに言われようと、やり切れば勝ち。

 

次に課題をくれる人。そんな人を探すのもいいが、いなけりゃ自分で自分に楽しい課題を与えよう。これほどやりがいのあることはないのだから。