贅沢な不足

現場では人手が欲しい。足りていない。
「いわゆる人手不足」なんだろう。
が、実態は?と言うと、失業者がいる。職にあぶれている人がいる。それもかなりたくさん。

あれ?猫の手も借りたい…ってんじゃないのね。

 
職に就きたいけれど、職が提供されていない人がいる。
これは、職を探している方からすると、
「自分の欲しい給与と、それに見合うより“楽な”仕事を提供してくれるところが見つからない」
ということらしい。
職を提供する方からすると、
「我々が欲しいスキルの人材で、“より安い”賃金の労働者が見つからない」
ということだろう。
どちらも、その仕事に対する適正価格での対立。今にも食えなくなる、仕事が回らなくなる、では、この選択は取れないはずで。
 
もちろん、場所の制約もあるだろう。そこに行かなければならない仕事に、労働者が出向ける必要がある場合が少なくない。だからその仕事が必要な場所に「通える範囲」で生活している人しか、その仕事には就けないこともまだまだたくさん。
 
裏を返せば、雇う方も、雇われる方も、(もちろんそうでない人がたくさんいるのも事実だが、だがそれでも)目の前の「ある人」よりも安くて良い人材が見つかると信じ、雇われる側も、目の前の「この仕事」より、楽で良い稼ぎができる仕事が見つかると信じている。ある意味互いに信じ続けられるだけの余裕があるのかもしれない。
 
もしも本当に、やばいくらい回っていないなら、とにかく即雇わざるを得ない。
どうにもこうにもしょうがないくらい食えていないなら、どんな仕事でも文句を言わずにやるしかない。
 
要するに雇えば良いはずで、雇われればよいはずだ。だが双方、心底困っている…ほどシリアスでもない。アルバイトでも、契約社員でも、今時、正社員以外で雇う方法などいくらもある。
なのに、なぜそうしないのか?なぜそうしなくてもそこそこ回っているのか?
誰かが何かを食いつぶしている。昔貯めこんだ分を吐き出している。
 
でも、それらもすべて吐き出して、本当に社会が回らなくなったら、経済が回らなくなったら、そもそも仕事を選択するだけの余地すらなく、最低限の生活自体もレベルが下がることになりかねない。
 
でも毎日は回っている。いつまでこの形が維持できるのかの限界を誰も知らずに、何かを食いつぶしている。それが何かに気づけるまで。