予防のために

お腹が空いた、と気づいた時点で、実は対処としては遅いそうだ。

おなかが空きそうになる前に、少し何かをかじっておくなどして、極度な空腹感を感じないようにするのが、本来的には良いらしい。

これはお腹が空くという事のみではなく。喉が渇く、と言う事においては、今では少しは意識され始めているかもしれない。喉が渇いた感を感じる前に、チビチビと水分を補給せよと。

昨今は、ペットボトルなどと言う便利な携帯保水器がどこでも手に入るので、特に気にするほどではないにせよ、とはいえ、スポーツなどでつい、と言うのはありがちな事。

 

要は、「深刻な状況になる前に、少しずつでも対処のための施策は打ち続けなさいよ」ということ。

これを、いちいち考えながらするとなると、それはそれで非常に大変になる。

 

近年の発見の一つとして、「ある人が1日に決断できる数には限界がある」と聞いた。

だから、ザッカーバーグも着る服は決まっていて、そのために貴重な「決断」を一つ使うことはしなかったり、イチローも毎日の朝食が決まっていたりするのもそのひとつ、などとどこかで見かけたことがある。

 

決める事

そこを右に行くのか左に行くのか。マジックを使うのかボールペンなのか。メールで出すのかメッセンジャーで送るのか。お風呂にするのかシャワーにするか。うどんかそばか、中華かイタリアンか…と、つどつどさまざまに「決断」をしている毎日。

これが無意識になるか、決断などせずとも自動で決まるという仕組みにすることで、貴重な決断を「ひとつ」使わずに済ませる。

だがこれは、拡張して考えるとするならば、要は予防的作業を考えずにする仕組みを回し続けるシステムを構築する、と言う事ではないのか?

 

運動にしても、健康にしても、勉強にしても、なんでも、考えずに予防的に、仕組みで対処する。個人で言うならば習慣化するということ。

朝のストレッチとか、毎週の運動とか、日々の勉強とか、毎日のトレーニングとかとか、それはなんのためなのか?何を予防すべきなのか?なにを心配しなければならないのか?と、考えるまでもなく行動に移す。

そこがおさえられている人は、さて、どのくらいいるのかなぁ?

漠然とやってませんか?それ?

いや、漠然と、意味がわからないくらいに習慣化されているって事? :)