予習復習

あぁ、こうやって「ちょっと一言添えて」教えてくれる恩師がいたら、もしかしたら自分の人生が、大きく変わっていたかもしれないなと思う事は時にある。学校の先生の、ちょっとした一言が、その子のその後の人生に大きな影響を与える「バタフライエフェクト」を与えているかもしれないのは、言わずもがなだろう。

 

学校で必ず言われたのは、「予習復習はしっかりやりましょう」。

でも、「予習」って、何をすればいいの?明日学ぶところを読むの?読んでどうするの?私はそこが知りたかった。どうせ「明日習う」んだったら、「今読まなくたって、一緒でしょ?」と考える子だった。

 

予習とは、「わからないところがどこなのかを押さえておくこと」。

もちろん、小学校ならば分からないことだらけだろう。だから、読んだところでちんぷんかんぷんだ。が、中学、高校と進むにつれ、予習の重要性が大きく変わってくる。全く新しい事ばかりではなく、以前ならった事を詳細に説明して深入りしたり、より大きな概念としてとらえなおして説明したりすることが出てくるからだ。

ということは、以前とのつながりがかならずどこかにある。そこを抑えて、「ここまでは前に習っている。ここから先が知らない。」をきちんと踏まえることができると、ポイントで抑えられることになる。そこさえしっかり学習すれば、その学習効果が最大になるのは当然の事。裏を返して言えば、それ以外のところは手を抜いていてもいいわけだ。

 

時に、予習せず、なにもせずに授業に出て、たまたま「それ、以前にも習って知ってるし」という内容のところだけを聞いて、しってることばかりじゃん、聞いてる意味ねージャン、つまんね。と、たかをくくって右から左に聞き流していると、そのすぐ後から説明された、実はこれまでには習っていない知らないこと、詳しい事、が出てきていた事に気づかずに、後で知ってあたふたするなんてのはよくある事。っていうか、そう言う失敗を何度した事か。そうならないための予習だ。

 

そして復習は?

これは、予習がきちんとできていた時の「復習」と、そうでない時の「復習」では意味も、時間のかけ方も変わることは想像に難くない。

予習さえきっちりできていれば、復習は、その新たな部分をもう一度繰り返し、既存知識との連結部分を丁寧につなぎ合わせるのみ。なので当然時間はさほどかからない。予習のたまものでもある。

が、予習ができていなかった時の復習は?まず、新しく習ったところはどこなのかを探して、既存部分との接続部分を見つける必要がある。本来、予習でやっておくべきはずの事を、後でやる必要がある。さらに、本来の授業で「集中すべきところ」だけ聞いておけばよかったものを、その他のところにも集中力を要して疲れていたり、もしくは、集中すべきところが聞けていなかったり。なので、当然、「授業内容すべて」を、簡単にでも自分で一通りフォローアップしなければならない。すべて。時間もかかるし、聞けていない部分は、「自分で調べなおす」必要に迫られるので、大変なのは言うまでもなく。

 

…なんてことを、もっと早くから教えられていたらね。

よい師に出会えると言うのは、本当に価値あることだよなとつくづく。