飽食の時代
何年か前に、海外の知人から言われたことがある。もう、東京に居れば、どの国の料理だって、たぶん探せばあるのではないか?食べられないものは、まずないのではないかと。
コンビニは24時間稼働し、食料品は数時間に一回補充されるトラックが回ってくる。格差がきつくなっていると言う話も聞くので、以前ほどではないけれど、それでも普通に暮らしている場面においては、食事が食べられなくて飢えている人はそうはお目にかからない。
そして昨今は、食事としての飽食にとどまらず、「情報としての飽食」も進んでいるような気がする。
ビルゲイツが20年前に「未来を語る」に書いていたと思うのだけれど、(20年前から見た)将来は、何でもかんでも広告に浸食され、お金を払って広告のない世界、広告のない環境を手に入れる時代が来る、と言っていた、まさにそんな状況になっている。
そんな世界は、昔はテレビ放送くらいだった。
でも今は、電車の吊り広告のみならず、車体一面に広告が貼られ、道路を走るバスもラッピングされ、ビルはそのモノが映像媒体になり、無料と言う名のゲームやパソコンツール、スマホアプリは、広告から目をそらさずには使えなくなっている。
食べ物の「飽食」の結果として、体重が増えすぎたり、健康を害したりすることがあり、それを是正するためのダイエット法や、ジム、エクササイズが商売に。
とするなら、情報の飽食の結果として、情報漬けになったり、健康を害したりする人々に対して、それらを是正するための「手法」や、場所、学校が商売になるのは時間の問題か。
20年前にはなかった商売が、今や全盛になり世の中を動かす時代。今ないからと言って、これからもない…とは限らないんだよね。新しい商売ってのは。抽象化して、パターン化して、同一傾向だから同一パターンのここに「空き」があるってのをいかに見つけられるか?そしてそこに、いち早く触手を伸ばすための動きがかけられるのか?
ビジネスの才覚ってそういう事なのかもね。