悔しさを大切に

誰かに/何かに負けると悔しい。と思う事、最近、ありましたか?

ぜひ、悔しさを大切に。

 

もう少しで勝てたのに!もう少しでできたのに!と言う状況なら、同じ世界でもっと頑張って競い合えばいい。

全然レベルが違った、相手は圧倒的だった、と言う状況なら、もしかするとその世界はあきらめて、「別の世界」で、自分の得意な世界を見つけて、そこで勝てばいいだけのはなし。

 

裏返して言うなら、もしも負けたのに「悔しくない」とするなら、それは何かをごまかしてはいないだろうか?今回は負けそうだったから、事前に準備のを多少手抜きして、「もしちゃんと準備していたとしたら、勝てたかもしれなかった」と、言い訳を用意していないか。
でも、そうして言い訳を使う事になったところで、それで得られるモノはなんだろう?プライド?可能性?でも、その世界におけるプライドって、みんながそう思ってくれているという「あなたの思い込み」でないと言い切れるだろうか?守っているプライドの価値は??だれの思い?だれの考え?

 

誰もがそこで勝ちたいと思うのはわかるけれど、でも誰もが「同じ世界で」勝たねばならないという、ある種の強迫観念はないか?ちょっと違う世界では、あなたが有利なこと、得意なことってあるはず。

 

その「別の世界」とは、どうやってとらえればいいのか?と言う事を、その人の周りが、うまくアドバイスしたり、ガイドしてあげたりすることで、それぞれがそれぞれにおける得意な世界を構築できないか?思考が凝り固まっていたり、誰か別の人の考え方に支配されていたりするところから、フッと力を抜いて呪縛から解き放たれれば、それだけで別の時空にシフトできる。

 

そのエネルギーとしての悔しさ。

誰かを打ち負かすためでもなく、のし上がるためでもなく、自分のためのエネルギーとしての悔しさ。