魅力のポイントと想像力

なぜそのサービスは人気があったのか?この「理由」をはき違えると、そのビジネスの転換点において大変なことに。

 

どの要因も重要なのだが、最たるものは「品質」。その品質が良くなければ、そもそもそれに魅力がなく、欲しいとすら思わない。価格が安くても、悪いものはそもそもほしくないのだ。

 

二つ目が「価格」。いくら品質が良くても、非常に効果であれば手が出ない。費用対効果、昨今でいうコストパフォーマンス(コスパ)が良いことも重要な要因だ。いかに許容されるコスト帯に設定できるか。

 

作り手の立場からすると、いわゆるQCDとして3つ目のD、スケジュールが、次の話になる。のだが、もちろんスケジュール、その商品が出てくるタイミングもそうなのだが、それ自体が持つ機能性、利便性こそが、使う側として重要な項目に。「この場面」で使えるから使っていた、「このシーン」で使えることに価値があった。これはサービス価値としては重要なこと。だがこれはそれを利用する個々人それぞれに理由が違うことがあるため、個別に正確にとらえるのは結構むつかしい。そして、いくつかのサービスは「改正」と称して、結果的にとあるユーザーにとっての「あるシーンでの利用」を断ち切り、「改悪」を施してしまい、さびれてしまうことが少なくない。

 

 

TBSのPodcastサービスが、2016年6月をもって終了することが告げられた。かなり徹底してアナウンスしているように見えるため、事前アナウンス不足には陥らなさそうだ。

確かにここ半年ほどで、ダウンロードに時間がかかるようになったり、広告を挟むようになったりと、工夫とアイデアを試しているそぶりが見受けられたのは事実。その上で思ったほど効果も出せず、どうやら広告主を見つけ難いという事実上の「持ち出し」で運営するのがつらくなったことをもって、新たなサービス形態に移行する、ということらしい。

もちろん、新たなサービスであったとしても、それまでパソコン経由で聞いていてくださったPodcastユーザーからお金を取ることはなく、「無料」で視聴できる形態を維持するとのこと。

 

そう「無料で視聴できる」というところに「彼ら送り手側の見る、受け手の利便性」をフォーカスしている事が伺え。が、本当にそれで正しいのだろうか?

「無料」、確かに重要な項目だろう。「品質」はこれまでのコンテンツを出す出口が変わっただけだ、これも維持している。しかし「利便性」は?

聞きたい時にストリーミングで聞けるという通信環境は、10年前とはかなり変わりつつある。だがそれでも通信にはそれなりにお金がかかる。また、ダウンロードして聞けていたこれまでのPodcastと、ストリーミングは根本的に全く違うもの。ダウンロードして「手元に持つ」ことにより、「今後いつでも聞ける」のと、「いつかは聞けなくなる」というこの状況は、実はかなり違う。

 

テレビもラジオもデジタル放送時代に入り、そもそもテレビが録画コピー数を制限するあたりから、手元にコンテンツを無限にコピーして、いつでも好きな時に見返す、聞き返すという行為が徐々に制限されてきた。
音楽サービスでは、曲がパッケージ(CD)で販売される形態から、サブスクリプションに大きく舵が切られはじめている。が、それも少なくとも今までは、勝手に聞けなくなる曲が、そうそう出てこないだろう、というサービス側の性善説に頼らざるを得ない部分がそうとうに大きい。本もダウンロード販売が可能になったように見えて、実はあれは「読む権利」を購入しているのがほとんど。発信元がそもそものその本のデータ配信を切ることで、この先読めなくなる可能性を秘めているのは音楽も、ラジオも、本も、同じ形態に収斂されつつあることになる。

 

 

今は起きていない。が、将来起きるかもしれないことにどれだけ対処できるのか?その「事が起きてから」では、もう対処できなくなっている。だから起きる前にそれを想像し、万が一のそれに対抗していかなくてはならない。それに意見しなくてはならない。見てくれだけが同じ様に維持されていることをもってして満足しているだけでは、徐々に翻弄されていく。場合によっては、使い勝手が悪いとそのサービス自体が死んでしまうこともある。

 

さて、くだんのPodcastはこの先どうなるのか?