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我慢比べ

企業の栄枯盛衰は長短いろいろあるのはその通りなのだが、多くは30年くらいだと言われて久しい。もちろん、それ以前から続く長い歴史を持つ企業もいるのだけれど、そうした企業はピーク時を超えた後に、爆発的な発展もないが、急激に落ち込むこともない、継続モードに入ることがある。いわば、「その企業が社会に及ぼしてきたことが、必要不可欠な状況になり、需給バランスがとれた、均衡状態がはじまった」ということ。

ただこうした状況は、いわゆるイノベーションによって、大きくバランスを崩されることがある。その最たるものが、この20年で起きているデジタル革命だろう。

 

言葉でいえばデジタル革命だけれど、これがコアとなって及ぼされた様々な波及により、流通革命、通信革命等々、いくつものビジネスモデルが破壊され、当然ながら、それに成り代わる別のビジネスモデルが台頭し、跋扈し始める。

 

これによって大きな影響を受けたのが、いわゆる旧来でいうところの「家電メーカー」それまでの「売り切り」モデルで生き延びようとしてきたところが、音を立てて崩れ始めているのは言うまでもない。

 

三洋が消え、ソニーが傾き、シャープが外資に買われ、東芝が大病を患っている。パナソニックも(テレビで言うと)プラズマをやめ、液晶工場も手放そうかという状況。かつてのような破竹の勢いは見えない。オーディオブランドとして名をはせたパイオニアやビクター、ケンウッドも明らかに縮小している。

一つの視点としては、売り切りから継続へ。もしくは当初業態から大きくビジネス転換を図ったところのみが何とか生き残っているとも言えるか。

 

だが、あらためて書くまでもなく、「企業として生き残る」ということと、そこに入社したエンジニアをはじめとするさまざまな自分の思いを描いていた社員たちが、継続して自分たちの当初の思いを実現できているか?ということは、イコールではない。

社会が変わったことにより、当初規模のビジネス市場が激変したことにより、業態転換を余儀なくされた。そこに「そのアイデア」は生き続けているのか?その「技術」は存続し続けているのか?当初の想いも当然ながら、社会的影響からは逃れられない。なので、その会社の中での居場所を失うこともある。場合によっては自分の中での「意味合い」を変えて/相手に合わせて、その中に居場所を探すこともある。

 

会社とて、個人とて、ずっと同じ思いでやり続けられる時代ではなくなった。そしてまさにそう言う変革スピードが早まっている時代。その時代にどうやってフィットするのか、その時代にフィットさせるのか?いや場合によっては、「時代が自分にフィットしてくるまで待つ」のか。
我慢比べ、適応比べの時代か。