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コモンセンスとしての

昔の(4、50年前の)欧米の映画を見ると、ダンスシーンが出てくることがある。いわゆる社交ダンス。何年かに一度のリバイバルでちょっとしたブームが来ることもあるけれど、日本においてもずっと以前は社交ダンス程度は踊れて当然、社会的教養の一つとみなされていた時代があったようだ。

 

が、当然今の時代、社交ダンスが踊れる人の方が、たぶん少ないはず。変わってそれ以外の事が社会的、社会人的教養として当然のこととなりつつあることに。

とすると、今の時代の共通した教養とは何か?

日本社会全体が認め始めているところからして、マンガ、アニメというコンテンツは、ある意味社会教養の域に達しつつあるかもしれない。今やジブリアニメを語ったところで、誰もオタク呼ばわりはせず、普通に会話できる日常が目の前にあるではないか(ただしそのほかのアニメどれも全て大丈夫…ではないのだけれど)。

 

一昔前は、パソコンのキーボードがタッチタイプでたたけるか否かが仕事の大きな分かれ目になっていた時代、というのもあった。当時は、「日本人はキーボードが苦手で」なんてのを言い訳にしていたかもしれないけれど、今となっては打てるのが当たり前?

 

もしかすると、スマートホンやタブレット程度は扱えるというのが当たり前、というのも、これからの教養に入ってくるのかもしれない。反対に、スマホは使えるけれど、パソコンはちょっと…という学生さんもいるくらいで、時代は移り変わる。

 

技巧的側面は良しとして、文化的側面は何か?最近私が疎いせいもあるけれど、音楽としての共通項というのは、どんどんと薄れつつあるような気がする。それはレコード文化、CD文化が廃れ、それぞれの好みに応じた配信を行い、それぞれがそれぞれに聞くという聴取形態が広がったがゆえに、音楽という領域においてのコモンセンスを醸成する土壌が消えてしまった気がする。

 

本の文化はというと、以前にもまして芥川賞直木賞といったことが取り上げられているものの、そもそも本の売り上げ自体が右肩下がり。雑誌文化としてのジャンルが右肩下がりの影響が大きいらしい。けれどそれ以外の雑文を含めて、日々Webを目の前にしてみていることで、お腹一杯の感は否めない。文字情報はいっぱい、ただしそれを紙媒体で読む機会は減っている、と。

 

スポーツも、むかしむかしは野球、ボクシング、プロレス、相撲の中継程度しかなかったのが、昨今は、ラグビーだ、サッカーだ、陸上、スケート等々もひしめいている。いきなりテレビに乗らなくても、ネットから自転車や柔道、体操といったマイナー競技もジワリと押し寄せてきている。ジャンルが増えることでそれぞれ個々の興味がそれぞれに満足されることは価値の多様化として悪くはない。が、それによって皆の興味が分散して、コモンセンスはやはり醸成しにくい状況にあるように見える。

 

となると、今の時代、共通の話題としての教養とは何なのか?むしろ、共通の話題で話せる相手を探すしかないのではないかという考え方。

だからこそ、共通の趣味、話題を基に話ができる、SNSが流行り、それを使えることこそがリア充の証(あかし)的な状態になっていたりして。ネットを使えるものと、使えないものとの間でのギャップが、ますます埋めがたいものに。