玉突き社会

小学校の頃、席替えで隣に誰が来るのか、ドキドキ。

大人になっても、オフィスの模様替え、誰かの昇進等々で席替え。その際、小学校との違いは、仕事の都合で誰かしばらくいない時期があったりなど、玉突き的に移動しないとまずいことがあったり。この先頭を担っている人が動かなければ、はなしがはじまらない。

 

そうしたオフィスなどでの席替えを実施するには、関係者すべての事情を配慮して、連絡、通達がつつがなくいきわたり、誰にも支障がないように準備する必要が。こういったことを一般に段取りという。

一つ事がある段取りで進みだすと、「それがいついつに終わるのを見越して」別の段取りが動き出す。こうした隙間を調整しながら人々は日々仕事をし、スケジュールを立てる。場合によってはそれによって組まれた仕事で多くの人が動いたり、大きなお金が動いたりする。と、それに紐づく形で段取られた他の仕事が何等か形でずれたり、遅れたりすると、大きな支障が生まれることになる。

 

だから物事は連鎖している。しすぎている。それぞれに余裕を持たさなければすべてが連鎖的に巨大な事故を引き起こすことになる。
車が渋滞するのは、前の車がちょっと気にして早めにブレーキを踏んだ事が、車間距離を縮めすぎてすぐ後ろの車に連鎖することから始まるという。車間距離を少し開けておくだけで、実は渋滞が起きなかったりするという。

 

物理的距離のみならず、時間的距離、余裕がなければ、たぶん人間社会がうまく回らなくなるのではないだろうか?どこかにしわ寄せが来たり、負荷が以上に高まったりと、弱いところがぽきりと折れたりする。

余裕を取るのが効率化ではあるが、取りきるのは効率化ではない、ということ。